SWITCHインタビュー 達人達(たち)「さだまさし×間渕則文」

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この番組のまとめ

間渕は消防本部からの要請があれば24時間いつでも対応する。 間渕は必ず ヘッドカメラの映像を見返す。 何に一番感動したかっていうと…僕も 生放送やったり それからステージの上から不特定多数の…何か 誤解を招きやすい言葉を使ってしまったりで叱られる事ってあるんですよ。

ただね 日常の病院ですらなかなか そういうコミュニケーションって取りにくいっていうかその相手に患者さん 患者さんの家族後で 自分で検証して振り返って…反省材料 僕も一緒ですよ。 間渕は 地元の名古屋市立大学医学部に在籍していた時から万全の設備で いち早く救急患者を診る事ができるシステムとして将来性を感じたという。 その1年後 岐阜県の病院で働き始めた間渕は中津川市の救命率の低さを目の当たりにしドクターカーの導入に動き始める。

中津川市でドクターカーの運用が始まって2年半がたつ。 心肺停止時の救命率は3%から19%へと飛躍的に伸びた。 「1時間もかかる山の中を嫌な顔一つ見せず間渕は さだとの収録を前に自分が どういう医師を目指したいのかを語れるように祖父が 晩年開いた診療所に向かった。 間渕は自分の目指すべき医師の姿を具体的に 再認識した。 間渕は さだが最新アルバムを制作するために籠もっているという音楽スタジオを訪れた。 間渕にとってアルバム制作の現場を見るのは初めての体験だ。

それは 音楽家だけじゃなくて恐らく 絵を描く人とか文章書く人とかみんな一緒だと思うんですけどその辺の悩みはあるんですか?まあ なくはないですけどざっくり言うともう そういう事を言っていたんでは…例えば 安く音盤を仕上げるっていうのはコンピューターで例えば オーケストラのような音管のような音ドラムのような音っていうのはいくらでもありますんでそれ 組み合わせて作ってボーカルだけ とって ここへ置けば一番安上がりですよね。

さだが見たのは 震災から11日後宮城県気仙沼市のある中学校の卒業式のもよう。 それで 僕の仲間たちが 早く被災地に入っている仲間たちがいましたんでで そっから 血を吐くようなメールがガ~ッと来て…いや だけどね…7週間か。 震災から1か月半が過ぎた頃さだは 心の整理がつかぬまま被災地 石巻に向かっていた。 でも 僕らのような仕事してるとね本当にね 何か…例えば震災の被災地へ入っていって気付く事があるんですよ。