こころの時代~宗教・人生〜「共にわかちあう日々を」

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この番組のまとめ

フィリピンからメキシコへ向かっていた船が嵐の中 沖で座礁。 一番最初の日本人とメキシコ人が抱擁したところ。 プロの演奏家を志した黒沼さんは18歳で単身チェコスロバキア共和国に留学しました。 東西冷戦の緊張の時代「鉄のカーテン」に隔てられたチェコはヨーロッパ音楽の保存庫と呼ばれた場所でした。 プラハに留学していたメキシコ人の文化人類学者と結婚。 メキシコを拠点に 世界各地での演奏活動を行うようになりました。 その傍ら メキシコで子供たちに弦楽器を教える学校を設立。

父は チェロ弾いたりヴァイオリンも少し弾いたりもちろん アマチュアですけどとにかく音楽が好きで楽器がなくなったので何があるかっていうとみんな楽器持ってるんですよここに。 だからまあ音楽は ヴァイオリンやる前に本当に一番仲がいい 友達みたいに親しくなってましたね。 その中に ぽんと ヴァイオリンを入れて弓のケース 袋も作ってくれて。 それを父が持ってで 電車で行ったんですけども新宿から阿佐ヶ谷までの中央線ものすごい混みようででも父はケースに入ってないから頭の上に ヴァイオリンをこうやってた。

小柄なおばちゃんだったんですけども その人の旦那さんが音楽アカデミーの…音楽学部の階段 上がってくと学校のレッスンがなくなる時間があると アカデミーまで歩いてったの。

それで 「セニョーラ」って「奥さん」っていうんだけど「セニョーラ きれいな音ですね」ってヴァイオリンの音を聴いてるからね「こんな曲もどう?」なんて弾いてあげてたりしたらねそれが こう 噂になってね僕たちも みんな ヴァイオリン習いたいって言いだしたんです。 その小さな村どこの村に行っても少なくとも ギターが1台とヴァイオリン1台はあるんです。 みんな ヴァイオリン持ってきたんです。 自分の村にある 一番いい一番いいっていうか 一張羅のヴァイオリンですけど 持ってきて。

貧しい人々の自立を助けようとするリカルドさんの仕事はそれまで小さな子供が音楽を学ぶ場がなかったメキシコに弦楽器のための学校「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を開設したのです。 なんかで集まると みんなヴァイオリン持ってこいよ とかってみんなでまた ヴァイオリン弾いてるの。 それはまあ プラハでもそうだったけども先生はヴァイオリンこそお弾きにならなかったけどピアノで もう弾いて歌って教えて下さった。 当時メキシコでは子供用の小さなヴァイオリンは手に入りにくいものでした。

今 取り組んでいるのはメキシコとの縁が深い御宿の人々と太陽が ヴァイオリン弾いてるんです。 ああ~!太陽が ヴァイオリン弾いてる。 全部ヴァイオリン弾いてます。 ギターとヴァイオリンっていうのはメキシコ人なかったら暮らしていけないんですね。 楽しそうにヴァイオリン…これ女の骸骨スカートはいてるの。 ところが太陽がヴァイオリン弾いてるのはまさに これじゃないですか。

このヴァイオリンはどれぐらい弾いてらっしゃるんですか?何年ぐらい。 ボヘミアンヴァイオリンっていうのはもう本当に伝統があってねイタリアンヴァイオリンかボヘミアンヴァイオリンっていう。 それで チェコの もう とってもヨーロッパでも有名だったシュピドレーンっていうね ヴァイオリンメーカーに作って頂いたんです。

で また2年ぐらいたって弾くと「ん? 黒沼さん 楽器替えた?」って言うから「いや替えませんよ この間と同じ」って言ったら「え? なんか音が変わってきた」って。 で 「黒沼さん 楽器替えたでしょ」って言うから「替えてない 替えてない」って言ってるんです。 その木が この中に入ってる「魂の柱」っていうのがあるんですヴァイオリンの中に。 それが「魂柱」っていうんですけどそれが その木からとれてるねヴァイオリンを作って下さった方々。 そのヴァイオリンで弾くとねほんっとに 震災の恐ろしさね津波の恐ろしさ。