大げさじゃなくてこの1週間2週間 水俣病の事それから 「苦海浄土」の事ばかり考えてるというか。 でも何か こう 僕らの子供の頃日本が近代化するのに必要だったプラスチックを作るために出来た工場がそのチッソという工場でそこから流れた水銀が巻き起こした水俣病というこの関係性みたいなものが現代でも終わってないんじゃないかみたいな事をやっぱ ちょっと考えてますね。 命の尊厳というのが「苦海浄土」という作品を通じて石牟礼道子さんが ずっと考え続けてこられたテーマなんですね。
この杢太郎君はお母さんのおなかの中で水銀中毒にかかって生まれてきた胎児性水俣病なんですよね。 胎児性水俣病というのは大変 小さな肉体の中に水銀が及ぶのでとても深刻な被害になっていくわけですね。 今年は ちょうど水俣病公式確認から60年という事で その話をした時に石牟礼さんが「60年という事は…」。 おじいさんはそんな杢太郎君の事を人一倍 魂の深い子というふうに言うんですよね。 おじいさんと杢太郎君の魂のやり取りというか。
実は僕は先日半永さんも時々いらっしゃる胎児性水俣病の方たちが集まられる施設というのがあって そこに少し お邪魔してきたんですよね。 水俣病自体も当然 終わってないんだけどその構造も全然 変わってないというのが。 こうして 水俣病のさまざまな問題に直面した石牟礼さんが目を向けたものがありました。 石牟礼さんは 水俣病の問題で行き詰まった時過去に立ち返り歴史に学ぼうとしました。