水俣病の患者の一人であり漁師の緒方正人さんです。 両親と きょうだい8人が水俣病に侵されやはり 私が6歳の時に父親が発病して水俣病が起きた不知火海の海で今も漁をしてるわけですけども私たちは どこかで…いや 何か それがねやっぱり 外の人間にはとても分からない部分でね大本をたどれば それはチッソからもっと言えば 都会のしわ寄せから来た毒なんですけど海から 毒も来たわけじゃないですか。 ですから 多くの水俣病患者・被害者の中からはだから 魚を食べるなというのは鳥に 空を飛ぶなと言うのと同じなんですよね。
これは 石牟礼さんも本当に強く おっしゃってますけどもとにかく 人間が見ていいんだ 悪いんだ人間にとって 得だ損だというような…ですから私にとっては 正門前は表現の場として捉えたんですね。 それこそ プラスチックの舟で行くとまず 一人で来た行ったもんですから「一人で来られると困る」って言うんですよ。 集団で来ると 強制排除したり警察を導入したりしても世間も ある程度分かってくれるけれども一人で来た。
患者のゆきは不知火海の春を懐かしがり病院のベッドでこんな望みを語るのです。 海に春があるという事でしたけど不知火海の春の海ってどういう感じなんですか?まず 陸上より私は 海の方が春は先に来ると思っていましてその一番 典型的なのがワカメですね。 僕は石牟礼さんに お会いした時に「どういうお気持ちで『苦海浄土』をお書きになってました?」というお話をした事があるんです。