そういう日本仏教独特の独自の発展というものがあるかと思います。 つまり6世紀の初め という事はいわば日本のそのあとの歴史のその伝来間もない仏教を積極的にひろめようとしたのが推古天皇の摂政だった聖徳太子とされています。 太子は そうした諸外国に後れを取るなとばかりに「和をもって尊しとなす」「篤く三宝を敬え」などの条文には仏教思想が色濃く反映されています。
それが聖徳太子にとっては仏教ではなかったのかというふうに…?その面もあると思います。 それと聖徳太子の事績といいますか業績でいいますとやっぱり我々は中学の歴史の教科書などでは習いましたけれども経典を 解説をしたという事がありますよね。 大乗仏教の代表的な経典であります「維摩経」「勝鬘経」「法華経」とこの3つの経典に注釈を書かれたと言われてるわけですね。 そのうち 今おっしゃった「法華経」についてはそう考えますと やはり聖徳太子と言ってもいいのかもしれません。
でも一番 仏教徒として大乗仏教徒の事を菩薩と呼ぶわけなんですけれどもその菩薩としてですね一番大事なのが「法華経」のメッセージを人々に伝えていく事じゃないですかと。 ただ その「法華経」をひろめるという事が どういう事かという時に 単に言葉を伝えるというんではなくてそのメッセージですね 「法華経」のメッセージその内容を伝えていくとそれが非常に重要な事だと思いますけどね。
まあ 宗派といいましてもその教えを奉じる立場というのが「宗」の意味でありまして集団としては むしろ大衆とか民衆という時の…というものでありまして三論宗は インドの中観派龍樹等の流れを引く宗です。 三論宗という事ですからインド 中観派の流れをくむ思想的な立場であると。 特にこの三論宗の教理としては「破邪顕正」という事が一つの柱になっています。
それを その境地を表す言葉として「八不」 「八不中道」という言葉はこれは あらゆる二元対立分別を一切 否定していくという意味ですがその八不のただ中が正と言えば正だと。 あらゆる事物が そのままにあるかと思ってるわけですけども法相宗は 実は インドの無著・世親と言われるようなそれを翻訳した「成唯識論」という書物が 根本聖典です。
華厳宗は 「華厳経」にもとづく宗派なんですけれども「華厳経」というのは 非常に華麗な世界観を描いておりまして重重無尽 重なり合い重なり合って尽きる事がない その関係性。 「華厳五教章」という書物がありましてその五教章の中で「十玄門」とか「六相円融義」とかその6つの相を一つ一つ説明しているとちょっと大変なもんですから総相というのが全体なんですけれども全体とその構成要素といいますかねその関係を見ているものなんですけれどもその総相の説明を見ますとですね家をたとえとして説明してる…。
最澄さんにしても空海さんにしても平安仏教の2人の巨人ですけれども2人とも やはり南都六宗を深く研究してそして それを更に超える仏教というものを考えていくという事になるんですね。 内容中身としては どういうふうな戒律があったんですか?これがですね 主に「四分律」という戒律を研究する まあ その…お釈迦様が制定した戒律は一つのはずですね。