一方で ミケランジェロの強烈な傑作には今も賛否両論 巻き起こります。 医学的な観点から彫刻の魅力を探っている…ミケランジェロは 驚くほど正確に人体の仕組みを知っていたと言います。 そんな時代 ミケランジェロをとりこにしたのが次々に発掘された古代ギリシャ・ローマの彫刻でした。 ミケランジェロは ふるさとのフィレンツェから仕事の依頼を受けます。 当時のフィレンツェは大富豪メディチ家が追放され一つの大理石から3年かけて彫り出したミケランジェロの「ダヴィデ」は型破りなものでした。
やっぱり お二人の反応がそれぞれミケランジェロの この「ダヴィデ」を作った動機と言いますかそういうのを ちゃんとつかまえてらっしゃるというか。 ちょうど ダヴィデがゴリアテをやっつける前のポーズをとってるというのもすごく 彼にとっては思い入れがあると思うんですね。 ダヴィデは 今で言うとインターネットの会社 作ってる若者みたいな存在だと思うんですよ。 自立とか 孤高の人間というイメージをしょってますよね 「ダヴィデ」って。
でも この丘に登っていく人たちに一番愛情を込めてミケランジェロは描いています。 それまでは やっぱりまだ キリスト教 カトリック教ですねローマ・カトリック教の教義の中で 何とかやっていけるんじゃないかと今 例えば 地球温暖化などで実際に その水面が上がって環境変動でね 多くの方々の生活が影響を受けるだろうと言われてるじゃないですか。
僕 これ見てると絶対にミケランジェロは…上の方は救われる人だというのが一般の解説ですけど…だから すごく平等に見てるっていうか。 一応 光背のようなものがあって明るくはしてますけども今までの ルネサンスの人たちが考えていたキリストの神聖さは ほとんど描かれていないからこれを見た カトリックの人たちが怒るのは無理もないけど。 何で ここまで徹底して描く必要があったんですかね?見てると やっぱり ミケランジェロのもう本当に モヤモヤ感とかそういったものが なければ描けないじゃないですか。
ミケランジェロが苦手だというヤマザキさんもこれは傑作だと感動します。 これを一つの完成品としてもう これでいいんだと思えるその決断力というのはもともと ミケランジェロには多分 なかったはずのものだと思うんですよね。 そこが ちょっと ミケランジェロどうしたのかなっていう。 ミケランジェロは 若い時から実は こういう世界は見てるわけですよね彫ってる途中で。 そういう ギリシャ・ローマ風の完成観というものもやっぱり 違うぞとミケランジェロは思っていたと思う。