こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「日々是好日−生かされて生きる−」

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この番組のまとめ

静かな田園が広がる…ここ伊深の山里は鎌倉時代の名僧大燈国師の教えを継いだ関山慧玄が庵を結んで 修行した場所として知られています禅堂に寝起きしながら 坐禅や作務といわれる掃除や山仕事時には 各地に分かれてのたく鉢などを繰り返す日々。

じっと考えたうえでどういう方法でこの危機的状況を乗り切るかと考えたあげくにそこで 診察を受けたところとても この人は正眼寺の修行に耐えられるような体では ありませんよと。 このままでは 挫折ですが武運つたなくなればまだ救いがあるだろうというのが唯一 解決策でしてその解決策が生まれた途端にではそれに向けて しっかりやろうという事になりました。 そこまで続けて1週間が 10日になりそれがまた 倒れないからまだ それで頑張られると体の方は どうなりますか?う~ん もうフラフラですね。

まさか そういう事はできませんのでねそこで ぼんやり考えながら過ごしていてある晩なんですけどね これは不思議といえば 不思議ですがそうすると 3時半ですのであと1時間半しか休めないなと禅堂に戻っても 横になれないなと こう思いながら倒れたいと思って行ってるんですよ。 その時は「1時間半しか」って昨日も おとといも思ったんですがその時どういうわけか分かりません理由が ほんとに分からないんですけども「1時間半しか」じゃなくて「1時間半も」ってなったんですよ。

平井謙次先生は自分自身が病弱であったためにヨガをなさったり断食なさったりいろんな ご修行をなさったその中に 坐禅があってそこで ある体験 まあ 見性体験といってもいいかと思いますが…というのがふっと浮かんできてその意味はその「もとこちら」というのは自分が置かれている現在の状況というのが良くないという事は昔 自分が それのもとに 原因になるような悪い事をしてるんだと。

そこのところには 主体性が受け取るといってもそこに これは 自分は受け取るんだという主体性がげんとして あるわけですね。 ただ その されるまま言われるままに動くんじゃ主体性がないわけですけれどもそれとは裏腹に正反対の自分はこれは受けて立つんだという姿勢が そこにはあるわけですね。 そして また 更に いろんな自然の変化によって松の実が ポツッとそこに とどまった事も自分の意志じゃないですね。

認識が起きる事によって意思が生まれますから毎日 人間の生活っていうのは右へ行こうか 左へ行こうかこれをしようかやめようかどっちにしようかなって選ぶ事の連続であるわけですけれども今のように忙しい現代でもパパッと見て決める必要もある場合もあるかもしれませんけれどもじっくり正しく全体の様子を見て自分自身の役割というのをもう少し はっきり認識すると世の中もだいぶ変わってくるんではないかというような気がしますが僧堂なんかからご覧になっていらっしゃるといかがでしょうか?僧堂の生活とですね社会の生活の大きな違いはつまり

先ほどの平井先生にしましてもそれから フジモトさんという電気のほうの専門の方にしましてもそれから 老師さんの こちらでのご修行の様子を伺いましてもいわば 仏教の言葉で言うと仏法の働きというものと今 おっしゃった手巾っていうのはこの事なんですが。 私 雲水時代に先ほどの体験のあとですね。 「キュッさん この手巾あんたもしてるけど手巾の意味 分かるかね」って聞かれまして。 「水引なんだよ」って言いましてねそれで そのまま説明してくれないんです。 ある時に 水引を巻いたものって一体 何だろうと。

まるい 円相ですから仏の世界は円なのに円なのに それを人間の生活の中に生かすために雲水として あるいは出家者として生かすためにはここを中心にしなきゃいけないという意識があった。 バランスをとるためには今 私 申し上げたように中心が 自我では駄目だという事ですよね。 その奥さんは 私 雲水時代に地元の方の 主婦の皆さんをですね寺の掃除とかですね夜の8時ぐらいだったんですが是非 私に会わしてほしいとその方が言われるわけですね。

その方に これは「日々是好日」あるいは 「好日」という言葉があるけども簡単に言えば「よい日ですよ」という意味ですよ。 「好日」という言葉の意味は「よい日」で 簡単ですが今 一番 苦しい時でしょうけどもこの字を見ながら人生で あんなにすばらしい日はなかったな。 でも1週間の命ですから そのまま直行したと思いますよ 病院に。 で 1週間か10日たったならば「家内は残念ながら亡くなりました」とこういうふうに言ってこられると思ったんですよね。