いや~ 今回はあれですか?国宝弥生時代の銅鐸を 今回は取り上げたいと思ってます。 銅鐸は 青銅の金属器でおよそ2,000年前の弥生時代に使われていたものです。 銅鐸が出土するのは九州北部から四国 近畿 東海までこの辺りの地名なんですけれども神庭… 「神の庭」と書いて神庭っていうんですね。 弥生時代の青銅器銅剣 銅鐸 銅矛が一緒に埋められている例はそれまで 全くなかったのです。 古代神話の国 出雲で考古学的な遺物が これほど大量に発見されたというのはまさに 歴史的な大事件でした。
出土した銅剣 銅鐸 銅矛は1998年「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されました。 これは 22~24センチの高さの小型の銅鐸です。 銅鐸の表面には半円形や格子状の模様がかすかに刻まれている事が分かります。 内側を見るとだいぶ使ったようでして銅鐸を鳴らす「舌」という棒が当たってすり減った跡があります。 そして 1996年荒神谷遺跡から1つ山を隔てた山中で衝撃的な大発見がありました。 大きい方に 小さな銅鐸を入れた入れ子の状態だったのです。
荒神谷遺跡の銅剣と加茂岩倉遺跡の銅鐸につけられた 「×」の刻印。 そういう×印は この荒神谷と加茂岩倉以外の遺跡からの遺物では見つからない?ないです。 加茂岩倉遺跡にも向かいました。 20年前の1996年農道を通すために 山の中腹を重機が削っていたところ発掘調査の結果 銅鐸は全て穴の中にまとめられ横向きに整然と埋められていた事が分かっています。 この加茂岩倉から出た銅鐸全部で39個ありましたけれどもその同じ鋳型から鋳造された言ってみれば 兄弟銅鐸が近畿地方で 実は14個 見つかってるんですね。