先人たちの底力 知恵泉「二代目はつらいよ 偉大な先代を持ったら 徳川秀忠」

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この番組のまとめ

偉大すぎる先代を持つと 二代目はほんとに苦労しますよね。 でもね 偉大な先代持つとなかなか苦労するなというのは三平さんもそうなんじゃないですか?それ いつも悩んでますよ。 そんな 今日はですね偉大な先代に悩みを持つですね和洋菓子店!いつも食べてますよ。 取り上げる歴史上の人物もこれもまたですねそれはそれは偉大すぎる先代を持って生涯 苦労しました この人物です。 偉大な先代を持ちながらそれに押し潰される事なくむしろ 組織を強めた秀忠。

家康は 早くから この秀忠を後継ぎと考えていたようです。 そんな秀忠が 家康の期待を裏切ったのは 20歳の時。 実は家康 この戦いで秀忠に後継者として名をあげてほしいと考えていました。 関ヶ原で待つ家康のもとにいつまでたっても秀忠が来ないのです。 実は秀忠 道中…家康は激怒し 気分が悪いと言って秀忠に会わなかったといいます。 家康の参謀役を長く務めた本多正信が 秀康を推しました。

皆さん それぞれプレッシャーを感じて先代の後を継いでらっしゃいますけれども秀忠が どんな思いでその二代将軍職に臨んだのか。 先生 秀忠が 家康の方針をそのまま受け入れたその解釈っていうのはどのように捉えていますか?秀忠にとってやっぱり 家康っていうのはあまりに偉大な父親であり将軍であったのでそれを きちんと守っていく事が大切だというふうに考えたんでしょうね。

そこで 何かものすごく 自分の悩んでた父親を抜くとか 父親が偉大とかそんなんじゃなくって自分の道を歩んでいったらいいんやっちゅうのでパーッと開かれた瞬間がありまして。 もう その代わった瞬間にすぐに やったのはお菓子の修正っちゅうのか自分の舌に合う お菓子にしようという事で 全部 見直しました。 これは 具体的にどういうふうに山本さんが社長になって変えたんでしょうか?おいしいねって言ってもらえるのがお菓子屋の伝統だというふうに思ってまして。

秀忠は 家康亡きあと独自の政策を進める中でも「昔の歴史や世間の評判利害が分かる。 うちの母 海老名香葉子というんですけど別名ね 北条政子とも言われておりまして。 主人公ゆかりの地から取って置きのネタを探し出す…その心の奥底には どんな本音が隠されていたのでしょうか?壮麗な社殿に改築しています豪華絢爛な建物や鮮やかな色彩の彫刻群。 家康の威光をこれでもかと伝えていますなぜ 家康公はこの日光東照宮に 神として祀られる事になったんですか?家康公の遺言に「関八州の鎮守になろう」という…。

東照宮を創建した秀忠が自分の墓は そこに置かなかった。 どんな霊廟だったのか模型で再現されていますこちらが徳川二代将軍 秀忠公の霊廟のの模型でございます。 次に 秀忠の本音を求めてやって来たのは 東京大学。 秀忠公と東京大学って何か関係があるんですか?上屋敷でここに藩主がいたわけです。 秀忠は 歴代の将軍の中でも最も熱心に御成を行いました大名たちと気楽に遊びたかったという秀忠。