100分de手塚治虫

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この番組のまとめ

各界で活躍する論客が独自の視点から手治虫作品を 「名著」として読み解いていきます。 今回は 漫画の神様手治虫スペシャルですよ!いや この番組で名著として漫画を取り上げるというのは初めてなんですけどまあ その1回目が手治虫先生なら 誰も まあ文句はないでしょという事で。 園さんは 手治虫作品というと?生まれた時から 僕の身の回りに空気のように存在しててもう 自宅には手さんの漫画が特に 「鉄腕アトム」なんか本当に普通に並んでて本当に もう手治虫がない生きざまというのがないぐらいの。

ブルボンヌさんが 今回名著として取り上げる作品は何でしょうか。 作品としても 1953年に最初の「少女クラブ」版が出て少年時代のブルボンヌさんがそれこそ アニメでね「リボンの騎士」に何か揺さぶられるのはちょっと運命的ですよね。 「戦闘美少女」という名前を付けたんですけれどもその源流作品。 今の若い方たちがご覧になっているアニメも恐ろしく 戦う少女が主人公ばかりですよね。 長編少女漫画の草分けとして少女雑誌に度々連載された「リボンの騎士」。

でも 最近の若い性的少数者の子たちに多いのが「Xジェンダー」という言葉で ジェンダーは男か女かの二元論じゃなくてどっちの性の 性的役割らしさを演じる時間だってあっていいじゃないという揺らぎがむしろ 本当に最新の感覚に近いんですよね。

これ最終的に サファイアってどうなっていくんでしたっけ?そこはね 何か悔しいけど最終的には割と…まあ 本当に ステレオタイプな感じに収まってしまうのが今のそのサファイアのオチに関してはまあ主人公だし 時代を考えたらそういう落ち着き方しょうがないねと思いつつ女の子らしくしなさい」って言って女の心をいれようとするというところでまた サファイアとは違った意味で自分の中にただ すっごく筋が通ったかっこいい女の子でそして 「少女クラブ」版では 最後ヘケートちゃんが亡くなる時に体の中から サファイアから取っていれられ

梨園の息子の美男子と今度は逆に 賀来神父の方がそれこそ 70年代80年代に一番 主流だった下世話に そういうものを取り扱おうというマスコミが下世話なスキャンダルとして彼の同性愛を暴くみたいな記事を書こうとするとマスコミの中の女性記者があの時代に あれをやれるって本当に すごい事だと思います。 最近 アカデミー賞をとった「スポットライト」という映画ありましたけどカトリック神父の幼児虐待性的虐待の話なんですよね。

そういう意味では 手先生はいつだって 「アトム」の時代からずっと 有害な漫画ばっかはきちらかしてたと僕は思ってますけどね。

手さんの作品には「アトム」以前から丸い線で描かれた人間ではないキャラクターが登場していたんです。 手治虫の丸い線は初期のSF作品の中でも特徴的なキャラクターを生み出していました。 アトムをはじめ 手の「丸い線」が生み出したキャラクターたち。 もともと アトムは 超美人の女性のロボットにする予定だったんだけど何かしらの制約が 天才を刺激して出来るんだなっていう。 昔ですね シンガーソングライターの谷山浩子さんが文庫の解説か何かで「アトムはエッチだ」と書いて目からウロコだったんですよ これは。

もっとこう何か根源的なエロティシズムを感じるんですね。 僕は 円運動っていうものにねこれは もう 根源的に宇宙というのは 円運動で始まってる。 そういったようなものが動いた時の 動いた時のですよね動いた時のエロティシズムこれを追求したいんです。 エロスって そもそも 生命力というような意味もありますし躍動というような意味もありますしね。 本人は そのね 丸という事にエロティシズムを感じてる。

手は 昼間はアニメの原画夜からは何本も抱えていた連載漫画と尋常ではない量の仕事に追われます。 つまり ここからこういう丸い線を均質に同じ内圧で こう描いていくんじゃなくて本当は アニメをやりたいという気持ちがありつまり 絵を動かしたいという気持ちがありでも それができないから漫画で やってたんですよ。 左のタッチって 私も実は子供の頃漫画描いてたんですけどいわゆる 顔のパーツの配置としてはより赤ちゃん的な中心より 下に 目を置くという描き方なんですよね。

起承転結が はっきりしていてしかも テーマ性があるようなその意味で「文学」と言ったんですけれどもそういう長編漫画作品コクのある長編漫画作品を描けたのはやっぱり 後にも先にも手じゃないのかなというそういう気はしています。 「ポリフォニー」という言葉の元ネタはロシアの文芸評論家で思想家でもあるミハイル・バフチンという人なんですけどもこの人が 「ドストエフスキーの詩学」という本を書いててそこで ドストエフスキーの小説はなぜ特別なのかという事を解明する時に このポリフォニーという言葉を使ったんですね。

今日 名著として取り上げる作品は?「奇子」というこれまた 結構 猟奇的な青森県の ある名家の没落の話なんですけれどもその中の ドロドロした人間関係が非常に ある種のリアリティを持って描かれるという作品ですね。

確かに手は 登場人物に悲劇的な運命が待ち受ける作品を「ロストワールド」では 地球から遠く離れた異星に取り残されてしまう少年を。 九死に一生を得た大阪大空襲の体験から運命的な視点を持つようになった手。 これを 捉え方によっては自己治療とも言えるしもう一つ 大きなのは やっぱり戦後の飢餓体験と言いますか飢餓といっても食料の方じゃなくて娯楽というか フィクションが枯渇した時代があってこの時に 非常に「物語」に対する飢えが高まっていったと。

漫画家という枠組みじゃなくて歴史小説とか大河小説家みたいな印象をお話を聞いてると 受けますよね。 余談といいますか突拍子もない感じかもしれないんですけど庵野秀明さん 「シン・ゴジラ」大ヒットしてますけれども庵野さんって もともと「エヴァンゲリオン」の人ですよね。 「エヴァンゲリオン」というのはいわゆる 「セカイ系」の元祖と言われてるんですよ。 」の新海 誠さんなんかもその作風の人なんですけどもこういう作風だった人が「シン・ゴジラ」で 突然社会を描き出したんですよね。

「鳳凰編」であれば特に 極悪人だった我王が聖人のようになっていったり本当に純粋な 茜丸が我執から 腹黒くなって欲望を振り回し始めるというようなところで読者は揺さぶられる事になります。 「鳳凰編」では仏教的な輪廻の思想を漫画ならではの表現で描きます。

斎藤先生 心の見地から言うとこの 表現する事で救われるというのは?まず 表現療法ってそのまま ズバリのがあってそれだけで モヤモヤが晴れるとか症状が おさまるとかですねこれは 昔から知られてる事でもあるんですけどもっと突っ込んだ見方をするとこれは 私の考えですけど誰か 人とつながる きっかけになるという事があってつながる事自体もすごく支えになったりとか自己肯定感をもたらしてくれたりするという事でいろんな意味でだから 表現というのは心を支える力を持ってると思いますね。