こころの時代~宗教・人生〜「地の底の声―筑豊・炭鉱に生きた女たち」

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この番組のまとめ

炭鉱の 坑内で働いた「女坑夫」と言われた人たちの仕事着です。 まぶべこを身につけ女性たちが働いたのは福岡県の筑豊。 ふるさとを出てきた人々は炭鉱住宅「炭住」に暮らしました。 筑豊の北の端 鞍手町で井手川泰子さんは暮らしています。 地上に運び上げる「後向き」が女性の仕事でした。 だから もう それは決まって女の人たちは 言うのは…家族が生きてゆくために流転の人生を送った女性がいました。 弟の死をきっかけに能美さんの家族は危険な炭鉱を離れて新たな生活の糧を探ります。

井手川泰子さんは 昭和8年当時 軍需産業で活気づく小倉で生まれました。 国民学校に通っていた頃の家の前での出来事を忘れる事ができません。 もう 「朝鮮人 朝鮮人」とか言って。 結局 男の子 子供たちは うんこが入ってるって言うんですよ。 その朝鮮の子供たちの家は。 空のバケツ 持って行くんやから「何も入ってない」って言えるんですけど私が見てしまってあの中には残飯が入ってるっていうのを 私が見たから。 転入して 一番先に仲良くなれたのは 炭住の子供だった。

昭和19年12月8日の開戦記念日に受けた表彰状です。 戦争中は 女と朝鮮人で石炭掘ったんばいっていうのはもう 何人からも聞いたんですよ。 だから もう 「女と朝鮮人で石炭を掘ったんやきね」というのが何人からも聞きましたよ。 徴兵で男手が足りない中朝鮮半島出身の人たちと石炭を掘りました。 表彰状では 滝本さんが頭にケガをしたにもかかわらず仕事を続けたとたたえられています。 その事が 朝鮮半島出身の鉱員を奮い立たせ1か月の出炭目標を達成したというのです。

井手川さんは 町と掛け合い炭鉱で働いた人たちと協力して石炭資料展示場を造りました。 一番奥には 中小規模の炭鉱小ヤマの坑内。 人間の手で石炭を掘り出す命懸けの肉体労働の現場です。 井手川さんは 展示のしかた一つ一つについてこのカネと あそこにカネがこういうふうにかかっています。 最近 井手川さんのもとに若い女性が通ってきます。 それを 井手川さんはどう伝えようとしているのか。