地球ドラマチック・選「ポンペイ 知られざるローマ人の暮らし」

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この番組のまとめ

西暦79年に火山の大噴火によって滅亡した古代ローマの都市 ポンペイ。 今回医療用のCTスキャン装置を用いて法医学の観点から石こう像を調査する事で犠牲者たちの真実の姿に迫ります。 ポンペイの人々は悲劇的な最期を迎えるまでどのような暮らしを送っていたのか。 19世紀に ポンペイの発掘調査にあたっていた考古学者たちは火山灰の中に奇妙な空洞がある事に気付きました。 これまでは不可能だった視点から当時の人々の日常の暮らしを古代ローマの街で最も刺激的な場所は円形闘技場です。

調査方法は現代の大災害などにおいて犠牲者の身元を特定する時と同じ方法です。 レイザーは足の甲の骨の発達状態から幼児の年齢をおよそ3歳と推測しました。 当時の暮らしぶりをより詳しく教えてくれるのがここには商店 貸し部屋 酒場 食堂そして浴場までありました。 上流階級の人々向けと宣伝されていた浴場は料金が高かったに違いありません。 反対側には大きな浴場。 公衆浴場とは異なり 誰もが利用できたわけではありません。 会員制の高級浴場だったと考えられています。

ポンペイの人々は 一体どんな物を食べていたのでしょうか。 ここはポンペイの本当の舞台裏です。 ポンペイ以外でこうした物が残されている古代ローマの遺跡は他にはないからです。 今まで考えられていた高齢の「物乞い」というイメージはさまざまな人が暮らすポンペイはどのような街だったのでしょうか。 港の近くにはポンペイの有力者たちの家がありました。 地下に隠されたポンペイの秘密。 地下は 奴隷たちが暮らしていた場所でした。 主人にとって奴隷は透明人間でした。

ポンペイには金持ちだろうと貧乏人だろうと誰もが日常的に訪れる場所がありました。 最も豪華で保存状態が良いのが街の中心 公共広場から程近い所にあるフォロの浴場です。 こうした顔料は 画家のアトリエや制作途中のフレスコ画の近くから発見されました。 火山の噴火によって ある日 突然日常が途切れた事を使いかけの容器が示しています。 画家たちは顔料を調達して混ぜ合わせ 容器に入れて画家や配管工 洗濯業者が日々の生活を送り街は滅亡し 灰に埋もれました。