地球ドラマチック「クレオパトラの墓を見つけ出せ!」

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この番組のまとめ

クレオパトラはエジプトの歴史における重要人物ですが専ら波乱万丈のメロドラマを演じた女王として語り継がれています。 アレクサンドリアはかつてクレオパトラの都でしたが当時の町は1,000年以上前に海に沈みました。 クレオパトラと夫のマルクス・アントニウスの率いる軍勢はアクティウムでローマ軍に敗北。 クレオパトラの自殺は 自らの遺体が敵であるローマ軍に渡らないようにするためだったとマルティネスは考えています。

ベルリン・エジプト博物館にある2,000年前のパピルスにはクレオパトラの政治手腕をうかがわせる記録が残されています。 一番上には女王を意味する言葉が書かれていてクレオパトラが この勅令を発した事が分かります。 エジプトが飢きんに襲われた時飢えのせいで騒動が起きないようクレオパトラは勅令を出したのです。 タップオシリス・マグナの発掘調査のためマルティネスはエジプト当局に許可を申請しなくてはなりませんでした。 ローマ軍との戦いに敗れた後反乱軍の将軍でクレオパトラの夫 マルクス・アントニウスは自殺。

タップオシリス・マグナがクレオパトラの家系とつながりがある事が証明されたからです。 イシスの化身 クレオパトラの墓はイシス神殿の下にあるのでしょうか。 イシス神殿の真ん中でクレオパトラの顔が描かれたコインが見つかったんですから舞い上がるほどの喜びでした。 クレオパトラの顔が描かれた青銅のコインはこの神殿がクレオパトラの時代にまだ使われていた事を示していました。 この青銅のコインはクレオパトラが自らの肖像を一方 クレオパトラはあらゆる人が自分の顔を見て崇拝する事を望んだのです。

マルティネスは この遺跡のどこかにクレオパトラの墓があるという確信をますます深めていきました。 一方 クレオパトラの治めるエジプトでは太陽の動きを基準にした暦を使っていました。 クレオパトラは故国 エジプトへと戻っていきました。 どれも クレオパトラの家系であるプトレマイオス朝に由来するものです。 エジプトを支配したプトレマイオス朝の王はクレオパトラまでに14人いるのでこの礎はそれを表現しているのかもしれません。

マルティネスは長い間考古学の異端児でしたが今では あらゆる研究者が彼女の発見を見たがっています。 ミイラ製作技術の低さも含め全てがクレオパトラの時代の埋葬である事を物語っていました。 カロママの墓はクレオパトラより900年前に遡るものです。 分析の結果 クレオパトラにしては年齢が若すぎる事が分かりました。 私たちの技術を応用して考古学者の人たちがクレオパトラの遺体を見つける手伝いをしています。 もしかするとクレオパトラの遺体かもしれません。 マルティネスのおかげでクレオパトラの墓に近づいた事は確かです。