お釈さんという その仏様が二千数百年前インドに現れたわけですけれどもそれは その奥にある久遠実成の釈牟尼仏といういわば 本体といいますかねその現れにすぎないんだという考え方です。 「久遠実成の釈牟尼仏」という言葉の意味は久遠の昔 もう はるかはるか昔に実に浄土を果たされた時折 この世に現れて衆生を また導いていくと。 その本門において久遠実成の釈牟尼仏が登場してくるんですね。
人々に 「法華経」の このメッセージをみんなに伝えるようにと。 その「法華経」の思想 考え教えが 日本の仏教史の中でどういうふうに 展開をしていったのかという事をまた このあと 見ていきたいと思うんですけれども最初に ちょっとお話が出た平安時代に入ると最澄が登場しますね。 中国に渡って 留学して天台の教えも学んでそして 日本に帰ってきて比叡山によりながら天台宗だけではなくて禅 戒 密教奈良南都の仏教を乗り越えたいと比叡山で修行を続けた最澄。
密教というのは 「即身成仏」死んでは生まれ 死んでは生まれしながら修行していって最終的に 仏になるんだというのではなくてこの世のうちに 仏になるというそれだけ 優れた教えなんだという事を主張するわけなんですけれども最澄は その密教を深く尊重しつつもその理由はどの辺にあったわけですか?これは 天台の教理の中にその「法華経」が最も深い教えを説いているとそういう理解がありますので例えば 後にお話しする事になるかと思いますが「一念三千」とかそういう事に基づいて深い教えであるという判断があっただろうと思います。
これは どういう事を言ってるんでしょうか?これは 光定という方の伝えてるところですけれども「先師いわく」という言葉がこの前にありましてそして 初めて救われていくというような意味合いの物語であったわけですけれどもここで最澄さんはこの 火宅の内にいながらも大白牛車に乗ってるんだと。
大乗の戒として 「梵網経」という経典がありまして「十重四十八軽戒」と。 「十界」というのは何かと言いますと十の世界という事でありましてこれは…地獄・餓鬼・畜生修羅・人間・天上はいわゆる 「六道輪廻」「六書輪廻」のこの迷いの世界ですね。 それから 修行の世界覚りの世界に入っていって声聞・縁覚・菩 更には仏と。 人間の世界の中に実は 地獄の世界もある。 仏の世界の中に実は 人間の世界もあるし地獄の世界もあると。
その事をあかしてるのが一念三千の教理の一番重要なところではないかと思うんですね。 お話の「一念三千」を例えば 具体的に表そうとした曼荼羅それがあるんだそうですね。 あれだけ批判的なと言いますかねあらゆる事に吟味 検討していく方が「法華経」だけは絶対の存在だったようですね。 じゃあ 道元さんにとって「法華経」は何かというとですねこれは やっぱり禅者でありまして「法華経」は 先ほど言いました諸法実相という事を説くわけですがその諸法実相というのは何かと。
あるいは 尊重されていたのかという その事を考えた時に恐らく「常不軽菩品」ではないかというふうに思うんですね。 常不軽菩というのはどんな人に会っても「あなたは 将来仏になる方です」と言って合掌・礼拝したというんですね。 この一つだけではないんですけれども「常不軽菩品」に関してはあまり… 何て言いますかね教理をひねくると言いますかいじくり回すと言いますかそういう事は全くないんですね。