円山応挙の絵と人生。 応挙が いかに一つ一つ知恵と工夫を凝らしていったか伝わる作品です。 これが まあ本画の世界なんですけども実は その背後に写生があるんですよね。 応挙は 最初の写生を更に 清書までするほど徹底して 突き詰めていました。 写生っていうかもう十分 作品に見えてきます。 応挙の写生っていうのは 本当に実は 何段階もあるんですね。 こちらが その一次写生といわれてるものです。 あれは だから応挙は 描き終わったとしてもやはり 何度も見て 確認して。
京都の人々の間で眼鏡絵の人気が高まるにつれ応挙は その制作を任されるようになります。 土屋さんと応挙との出会いは20年以上前に さかのぼります。 依頼したのは若き応挙と交流のあった滋賀の圓満院の住職 祐常。 ほんとに山水画とか 人物とか花鳥とか さまざまな事柄を学んでう~ん そうですね…ただ一つ言えるのはこの作品を描けるのも応挙という画家以外多分 当時いないんでしょうね。 絵でも3次元を意識せよという応挙の言葉。 3D空間に絵を描ける特別な装置を使って応挙の作品の模写に挑戦します。
ここの この枝なんですけどこの影になってる描写とその下に枝が描いてあるという時点で自分から遠のいて離れていっている枝と判断すると。 見えてない雪の中までもしっかり葉組を応挙の頭の中で組んで対象の三面をしっかり見つめ描いた応挙の松。 更に 応挙は その場の気配や空気感まで絵にしました。 非常に この細かい描写を加えてこの情景を描く。 応挙ほどの画力があればああいうところをずらさないで描く事はいとも たやすいんですがあえて あれを ずらして描いてるんだと思うんですよね。