「100分de名著」 司会の…道元の「正法眼蔵」。 今日も頑張って 道元のメッセージを読み解いてまいりましょう。 では この道元が大きな決心をした頃当時の仏教界の状況はどうだったんでしょうか。 当時 日本にまん延していた「末法思想」。 そのために 釈の教えが廃れるとされる末法思想にも権力と結び付き 大衆に迎合するやり方にも反対でした。 こうした思いが積み重なった頃道元は 北越に移ります。 「一切衆生 悉有仏性」という言葉一般的にはこちらの左の解釈です。
育ったら 仏性になるんだと見てますが…オタマジャクシは カエルの子ですね。 仏性というのを カエルになったら仏性あるけどもオタマジャクシは 駄目だというこんな考え方 おかしいというのが道元ですね。 これ もしかしたら ちょっと言葉遊びみたいに なっちゃうかもしれないんですけどオタマジャクシにある仏性というのはこれは オタマジャクシにもカエルの仏性があるのかオタマジャクシにはオタマジャクシの仏性があるんですか?なるほど。 という事で 道元が過去の有名な禅問答を例えに無の仏性 無仏性について分析しています。
道元は 「無の仏性」に関連して「時節若至」という言葉について考察します。 至ってない状態も仏性だよというのはほんとに 道元の時の捉え方というのが よく分かりますよね。 道元にとって 時間というものはね現在しかないんですよ。 一般の時間論で言いますと私たち 普通に思ってるのは過去があって それから現在に流れてきて 未来。 全部 現在 現在 現在しかないんだよというこれが 道元の時間論です。 まだ 仏性花が咲いてなければ…この道元は 時間についての考察を「有時」という巻で進めています。