ETV特集「漱石が見つめた近代~没後100年 姜尚中がゆく〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

漱石が立ったプラットホームでその直後伊藤博文が暗殺されます。 ああ 「夏目漱石」。 姜尚中さんがたどる夏目漱石の旅。 漱石が 五高の開校記念式で読んだ祝辞の原稿です。 明治のエリートだった漱石の危機意識です。 小説「三四郎」は 熊本の五高を卒業した青年 三四郎が東京帝大に入学し成長していく姿が描かれています。 五高の教育者として 日清戦争後国づくりの一翼を担おうと意気込んでいた漱石。 漱石は熊本で勤務した後1900年 明治33年ロンドンに留学します。

漱石の留学中時代は 20世紀を迎えます。 ロンドン留学を終えた後 漱石は東京帝大の英語講師となります。 漱石は 近代化に邁進する明治の日本を漱石は ロンドンから日本に帰ってやっぱ 文学というものとどう向き合うのかという漱石が2年間を過ぎてそこで自分の文学についてそれが なんで その間に漱石っていう作家が生まれたかっていう問題なんですよ。 漱石は1907年教職を辞め朝日新聞社に入社職業作家となります。 その後 友人で南満州鉄道株式会社の総裁中村是公から誘いを受け満州や朝鮮関連の写真集。

日露戦争に勝利した日本はロシアから 旅順 大連の租借権と長春以南の鉄道権益を譲り受けます。 漱石が最も関心を寄せたのが日露戦争の戦跡でした。 漱石は 日露戦争から4年後従軍した日本軍の軍人に案内されここを見ています。 漱石が この場所を訪ねた時の説明なんですがですから 戦場の中では亡くなったのは敵によって 亡くなったんだというそれだけではなくて…やっぱり違う 現場の生々しさを知ったと思うんですね。 最近 現地で発行された新聞に漱石が文章を寄せていた事が作家の 黒川 創さんによって明らかにされました。

で そういう漱石が もう一方で日本が日露戦争に勝って中国の苦境を見つつ自分は やっぱりその進出する側にいて西洋文明の下で受けた差別と コンプレックスから「汚い中国人」「中国の水は飲みにくい」などと書いています。 漱石は 日本の現状を肯定も否定もせず漱石はその後 満州から鉄道で朝鮮半島を南下します。 漱石が朝鮮半島へ進出する日本をどう見ていたのか気になっていました。

漱石は 伊藤暗殺事件について小説「門」の中で触れています。 伊藤暗殺事件や大逆事件と漱石との関わりについて読み解いています。 その時に日本はまだないっていう中でつくったのが漱石であり 鴎外でありそういう まだ「私」っていう言葉もないし僕とか君とかっていうやり取りもない中で漱石は 僕とか君とかっていう今 普通に僕らが読める作品を黒川さんは 漱石が東アジアの近代文学に果たした役割が大きかったと言います。