先人たちの底力 知恵泉「宇宙開発の父・糸川英夫~夢を与える技術を生むには〜」

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この番組のまとめ

ペンシルロケットから 僅か15年日本は 人工衛星を打ち上げ地球の周回軌道に乗せる事に成功。 23cmのロケットしか打ち上げられなかった 日本の宇宙技術を世界をリードするものへと導く事が できたのでしょうか?今回 その知恵を読み解くのはスーパーコンピューターを開発するベンチャー企業のCEO…スーパーコンピューターは 中国の「太湖之光」や 日本の「京」など国や大企業がばく大な資金と人材を投入し長い時間をかけて 開発する大プロジェクトだと考えられていました。

私 実はアメリカ・シリコンバレーの方に10年ちょっといさせてもらったんですが2011年3月に東日本大震災があった時に私 アメリカで それをニュースを見ておりましてそろそろ これは日本に帰って日本の復興であるとか 再興に何か貢献をさせて頂きたいと一番いい そのための道具は何かなというところで最終的にスーパーコンピューターというところにたどりつく事になりました。 折しも この同じ年…日本では ロケットも含め全ての航空機研究が解禁されます。

1955年3月ペンシルロケットの発射実験がこのペンシルロケットが いよいよ発射される日が来ました。 イタリア・ローマで世界60か国以上の科学者が共同で行う高度50km 成層圏よりも上空の観測には ロケットが不可欠。 それこそが 糸川が教え子に段ボールで作らせた あのロケットでした。 その1年後には全長2.4mのカッパロケット。 ロケットの燃料には 液体燃料と固体燃料の 2種類があります。

新たに開発した大型の固体燃料を搭載した全長5.4m 重さ260kgの二段ロケットを打ち上げる日がやって来ました。 地球観測年に自力で ロケットを打ち上げたのはアメリカ ソビエト イギリスそして 日本だけ。 その 糸川英夫の信念こそが世界を驚かせ人々に夢を与え続ける日本の宇宙開発技術を生むだから 糸川先生に「100kmぐらいまで上がるのできますかね」と言ったら事もなげに 「やりましょう」と言ったというところがね。 気持ちのよさよりも先に…カッパロケットまで行けるぞという方の気持ちの方が大きいですかね。

館内では これまでここで打ち上げられたロケットの模型や 人工衛星の試作機ロケットエンジンなど糸川先生の時代から最新のものまでが展示されています。 それが イプシロンロケットだと8人になりました。 なぜ それが できるようになったかといいますとこの イプシロンロケットが成人になるまで大体 何機ぐらい必要になってくると思いますか?それには 経験を積まさなきゃいけないんですけど10機ぐらいで大人になってくれればうれしいなと私自身は思ってます。 ここから 東や南に向かってイプシロンロケットが飛んでいくんですね。