先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 新春スペシャル

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この番組のまとめ

豪華な新春スペシャルです!今宵は そんなお正月の過ごし方に隠れた江戸の人々は どうやってありがたみを感じるようになっていったのか。 今年 酉年なんですけれどもね酉年というのは 歴史を遡るとどんな年って言えるんでしょうか?そういう年なんですね。 あれが酉年ででも あれがなかったらもしかしたら 今の日本サッカー躍進はなかったかもしれない。 だから そこで一生懸命二ツ目になる準備をしなきゃいけなかったんですよ。

それで 初夢で見たらいいなというのが いわゆる…どうして 富士山の夢を見るとめでたいかというところに実は 庶民の知恵がギュッと詰まっていたわけなんです。 その富士山が なぜ 初夢で見るとめでたいと言われるほどありがたい存在になっていったのか。 まず訪れたのは富士山の歴史が全て分かる…本当に当時流れた様子が そのまま形になっていますけれども。 そんな富士山の印象が変わり始めたのは江戸時代中期の享保年間。 当時 洪水や疫病富士山信仰の指導者 食行身禄。 食行身禄は富士山の七合目近くに入山。

では 実際に富士山に行けない人に仲間たちは何をしていたのか?作品を制作するために富士山を調べ続け今では 本を書くまでの熱狂的なファンになりました。 富士塚に登れば富士山に登ったのと同じ御利益があると言われ富士山に行けない人たちにもその幸せを分かち合える仕組みでした。 富士山に登る時に 大体小御嶽神社でお参りしてこれから 頂上まで無事に行かせて頂きますと。 庶民にとって ありがたい山はいつしか 初夢で見るとここにある富士塚は 江戸時代一番有名だったと言われています。

それが だからコミュニティーの形は変えつつも時代を超えて 現代でもできてるという事なのかもしれないですよね。 その験担ぎ以外にも 実はですね人と人とを結び付ける知恵がおせち料理には あったんです。 正月を象徴する食べ物…始まったのは 奈良時代の宮中と言われています。 季節の変わり目となる節日を祝う行事に出された御節供料理が起源でした。 その後 御節供料理は 室町時代武家社会にも広がります。 政宗は 無類の料理好きでした。

政宗は 江戸城 二の丸において三代将軍 家光をおせち料理で接待しました。 これは その時政宗が供したと言われている…見栄えも味も最大限 引き出しています。 何か それで料理が好きになって…政宗流の。 当時は それだけ政宗というのは危機的な状況だったと言えるんですか?まあ 徳川家とは 非常に親しい大名なんですけれども…俺の事を言ってんじゃないですか? それ。

これが まさに政宗時代の知恵も現代に やっぱりこう 通ずるわけですよ。 元日から 正月からおせちをつつく事で 関係改善。 さあ正月 初夢 それからおせちと見てまいりましたけれども欠かせないものは 初詣ですよね。 初詣にも実は 先人たちのお正月新年に込めた知恵があったんです。 この一年の願い事が多い初詣ですがそれ以外にも重要な役割があるんだそうです。 毎年 日本で一番多くの参拝者が訪れる…それでは 行ってまいります!今年本厄 数えで33歳になる中川翔子さん。

まあ ご存じのように…大みそかの日暮れから元日の夜まで一家の家長が 自分の家や神社に籠もって 歳神様を迎えました。 それに まあ どうしてもね一年過ごすというふうな事とか何とかもありますからね心機一転する機会がないとね駄目ですよね。