SWITCHインタビュー 達人達(たち) アンコール「星野佳路×中川政七」

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この番組のまとめ

星野は 31歳の時当時 創業から77年になる軽井沢の温泉旅館の経営を受け継いだ。 先代社長の父との軋轢を乗り越え地方の一温泉旅館を日本を代表するリゾート運営会社へと成長させた。 ですから どちらかというと…そんな星野と対話するのは日本のものづくりの再生に懸ける経営者…奈良の老舗の13代目だ。 中川の家は江戸時代から300年の間麻織物などの工芸品を扱ってきた。 え~!この自動販売機のカプセルの中には全国47都道府県の郷土玩具のミニチュアが入っている。

まず 「あかん」って言われたのは「お前 何か 2年で何かできた気ぃになってるかもしれへんけどそれは 富士通の看板があるからできてるだけの話でお前の力ちゃうと。 富士通の…そんなのさっぱり知らなかったんで…もう最後は もう…しかし 茶道具の事は何も知らなかったため経理や製造管理など業務フローの整備。 商品を世間に広く認知させるブランディング。 伝統的工芸品の業界では先駆的な取り組みだった。

それは なぜかというと タオルハンカチに取って代わられてるんですけど。 でも 何か 僕… 特に男性 みんなそうかもしれないんですけどタオルハンカチを ポケットに入れるのは嫌じゃないですか。 で 物持ちの悪い中川家にあって一番最古の残ってるハンカチは…あっ 商品はこのハンカチなんですよね。 だから 中川政七商店がハンカチをやるっていうのには ここに起点があると思うんですよね。 日本独自のハンカチ文化が出来上がってた。 もう一個…グルグルッとやってハンカチブランドが生まれるんですけど。

長崎県の波佐見焼を製造する陶磁器メーカーだった。 従来の波佐見焼のイメージを変えるポップでカラフルなマグカップ。 今や 波佐見焼の業界を牽引する人気ブランドになっている。

ここは 星野の会社が 東京都心で初めて運営する日本旅館だ。 80年代に 日本のホテル会社が 世界に出ていった時があるんですけどまさに 日本のホテル会社がなぜ 西洋ホテルを経営するのか?この質問が一番多かったんですね。 私たちにとってみると日本旅館で海外に行くっていう時にはその3つがバシッとそろうんですよね。

伝統工芸を復活させよう救っていこう伸ばしていこうっていうのと…中川さんにとってはそれが ビジョンだと思うんですけど私たちにとっても それがリゾート運営の達人になりたいというのが会社の将来像なんですよね。 これをね…それから 競争優位になりたいしそれから 持続性を持たせて次の世代にも引き継いでいきたいという事はもちろん あるんですけど私の経営のキャリアというか経営が始まった時の最大の課題で……で 当時の会社というのは軽井沢にあって古い施設を抱えていて決して 周りから見てかっこよくないんですよね。

しかし 場所が変わっても数が増えても私 経営者になろうっていうふうに志した時があってプロフェッショナルっていう特別なスキルがあるならうまい 下手があるんですよね。