こころの時代~宗教・人生〜「人から人へ」

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この番組のまとめ

この30年余り 自身の被爆体験を伝え続けてきました。 ♪~平和への願いを語り続けた父の遺志を受け継いで国内はもちろん 世界各地での講演活動を続けています。 近藤さんが今も手元に残している被爆当時のものを見せて頂きました。 こんなボロボロの箱だと捨てられたらいけないので「重要広島」「原爆レンガ」「服」って。 近藤さんと 母チサさんはそこから少し離れた牧師館で建物の下敷きになりました。 空襲警報が解除になってて婦人会の会長さんが 母を訪ねて朝 いらして下さって。

原爆に関する報道が制限される中広島で何が起こったのかを詳細に伝え世界に衝撃を与えたものでした。 被爆の現実を惨禍を生き延びた6人の人間の記録として伝えた この本は近藤さんの父 谷本牧師がハーシーに渡したメモがその後 十数の言語に翻訳され今も世界で読み継がれています。

講演は 同時に真珠湾攻撃を非難する人また 原爆によって多くの人命を奪った事に痛みを抱くアメリカの人々との和解の旅でもありました。 被爆から10年やけどを負った女性たちが治療のためアメリカに向かう事になりました。 午前10時30分一行は 岩国の飛行場からアメリカの軍用機で旅立ちました。 谷本さんは 女性たちを連れアメリカに向かいました。

そして彼は すぐ…副操縦士ですから飛行日誌に ずっと 何時何分経度何度の所を飛んでるとか全部 記録しないといけない。 My God,what have we done?神様 私たちはなんてことをしたんでしょう。 宣教師の子として中国で育った パール・バックは谷本牧師の活動の最初の理解者の一人でした。 実は 「This Is Your Life」に出たあとパール・バックが「せっかくアメリカに来たんだからアメリカで夏休みを過ごしたらどうだろう」って提案して下さいました。

あの日の事を通して広島を離れ東京の高校に進んだ近藤さんはアメリカの大学に進学する道を選びました。 東部の2つの大学で社会学と児童心理を学びその間 5年半一度も 日本に帰る事はありませんでした。 結婚して アメリカに住んだらもう広島と さよならができると思ったんですけど婚約した相手の人の おじさんがお医者様で放射能が人体にどういう事を与えるかを研究してらっしゃる方で。 私の事を聞いてKoko is no good.紘子はよくないって事になってやはり 若かったですしショックでしたね。

近藤さんご自身が 広島に帰って自分の被爆体験を話していこうとかそういうふうに思っていかれるというきっかけは「Children As The Peacemakers」っていう財団が子どもたちと来るのでちょっと時間があったら対応してもらえないかって言われてああ 喜んでお手伝いしますという事でその子どもたちにまず平和公園で会ったわけです。 キャプテンルイスとの事?出会いの話をね 子どもたちに。