先人たちの底力 知恵泉「明治の実業家 五代友厚の大阪復興」

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この番組のまとめ

お酒じゃなくて今宵は柴田さんのため 特別五代友厚の知恵味わいましょうよ じゃあ。 明治の初めに 五代友厚は大阪を元気にする事で実は 五代友厚と深く関わっているお客様を お呼びしているんです。 大阪大学の名誉教授で「あさが来た」の時代考証五代友厚に大変お詳しい方なんですよ。 大阪の商人たちを支援した実業家五代友厚の知恵をどう読み解くのでしょうか?喜田さんは現会長で その前は社長でいらっしゃって浅子の時代から数えると何代目になるんですか?創業から数えて15代目の社長になります。

五代は 薩摩藩の貿易係として長崎に派遣されます。 この地で五代はイギリス商人と交渉し近代兵器の輸入や薩摩の特産品の輸出事業で活躍。 貿易により培われた経済センスその後 明治の世になり新たな体制がスタートすると新政府は大阪に五代を派遣します。 大久保は 非常に五代と親しかったといいますか信頼してましたのでその信頼できる人物をとにかく 一番重要な経済都市に送ろうという事は考えた可能性十分あると思いますね。 日本最初の近代的な貨幣をつくるにあたり五代が海外から輸入したのがこの圧印機でした。

商人同士によるさまざまな共同事業が発足。 日本の経済を支えるというとそこで中小企業の経営者の方に万が一の事があったらその会社が事業が成り立たなくなる可能性があったわけです。 それは日本一 商いがうまいと言われた大阪の商人文化の衰退です。 それが現在も残る 商工会議所の前身…ここで定期的に開かれる会合には誰でも参加可能。

その後 訪れた敗戦後の復興の過程でも食品 繊維など 大阪の企業が日本の経済成長を支えました。 五代が まいた種は大きく花開き日本全体を元気にしていったのです。 人に期待という意味では五代が期待した広岡浅子もその五代のつくったしくみがあってこそうまく成功したという事なんですかね?そうですね。 それは 広岡浅子だけじゃなくて他の大阪の商人にとってもずっと取り戻してやっていこうとやれるで。 それだけ さまざまな事をした浅子そして五代ですけれども五代にいわば会える場所をですねうちの特命店員が巡ってきてくれました。