こころの時代 アンコール 日本仏教のあゆみ~信と行〜 第四回「浄土への憧れ」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

いよいよ 今日から といいますか今日と次回2回はですね鎌倉時代の仏教を取り上げて頂くわけですが平安から鎌倉にかけてというのは世の中一般がまあ 政治も含めて大変 大きな変革をする時代なんですね。

そういう阿弥陀仏の仏の存在の事をお釈様が説いてですね…仏教は お釈様の説法ですからお釈様が阿弥陀仏という存在の事を説いて人々に勧めてるという形になるわけですね。 そうするとその阿弥陀仏というのはですね相当 特別な存在といってもいいわけですか。 しかも 「称名念仏」阿弥陀様のお名前を唱える御名を唱えるという念仏。 善導によれば阿弥陀仏の名を唱えればたとえ 凡夫であっても仏の力によって極楽浄土に往生できるというのです。

しかし 既存の仏教教団からの攻撃によって当時の法然が出た頃の仏教界というのは大体 どういうふうな状態だったんでしょうね?比叡山なんかは 貴族の出世の場のようになったりですねあるいは 僧兵が跋扈したりという事で必ずしも 学問や修行に専心する専念するというような状況ではなかったんじゃないかと思われます。

ですから 「選択本願念仏集」というこの「選択本願念仏」というのは我々が念仏を取る選ぶというんではなくて阿弥陀様が 自分が浄土に引き取るために 衆生に与える行として当時の民衆というか一般の人たちにとってはそれまで 多分 仏教というのは非常に難しい というふうに捉えていたのではないかと思うんですね。

法然さんの教えを聞いた方々もそこは ちょっとネックになるといいますかね不安になるという点ではなかったかと思うんですが法然さんは いや 阿弥陀様はとにかく救って下さるんだと。 ただ 阿弥陀様の本願を信じて念仏すれば それでいいんですよとそう言って広めたわけですね。 親鸞は すぐに法然のもとに走り浄土の教えを学び念仏を広める活動に身を投じていきました。 それによって 仏教弾圧した念仏弾圧した人々にですねで 六巻から成り立ってですね…そのうちの前半で よく「教行信証」といわれるわけですね。

「教行信証」の中で その三心について 述べてる部分をこれから また ちょっと読んでみたいと思うんですが…。 そうした他力向の例えば 親鸞の場合にですね行き着く先といいますか他力向の行き着く先の境涯といいますか 境地というのは「自然法爾」。 仏道では非常に多くの段階があってこれを順々に上っていって最後に仏になると弥勒菩薩という方がいる。 更には 「如来等同」というような事も親鸞さんは言われるんですね。

一遍上人についてもまた映像を見ながらですね1239年 伊予国現在の愛媛県に生まれた一遍は次第に 一遍について共に旅する者も出てきました。 これは どういうわけか必ずしも 詳しい事は分かりませんけれども法然さんから始まった浄土教の中でですねやっぱり 阿弥陀仏の信心これが まず第一に非常に重要だという事が考えられていたんだと思うんですね。