SWITCHインタビュー 達人達(たち)「行定勲×宮本輝」

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この番組のまとめ

白血病で短い命を終えた少女との思い出をたどる純愛物語はその年の実写映画の観客動員数興行収入ともに ナンバーワンを記録。 熟練の2人が織り成す大人のプロフェッショナリズムとは?作れなかったら やっぱり理想としてる場所を見つけ出してその空気ある所に 俳優を置いて…宮本が テーブルに用意したのは3年にわたって新聞に連載してきた作品の原稿。 小栗康平監督によるモノクロの傑作映画の原作としても雨の日 少年 喜一と出会う。

自分は こういうものを…万年筆持って 書き出してそういうものが…だけど 読み返したら違うんですね あれっていうね。 あるところから 僕が一生懸命後から書き加えたり最初から大事にしてた書き出しのところを鉛筆で ピャッと消したんですよ。 宮本作品も初期の作品って やっぱり今もなお それが 代表作としてあるじゃないですか。 だから 代表作は「泥の河」とかね言われても別に…これ みんな お前の金看板や」。

小説を書く事だけでまあ なんとか生活ができてるんだからもう嫌だとか…旺盛な創作活動を続ける宮本。 熟練のプロフェッショナルは今なお 進化する事をやめない。 実は 行定もかつて 宮本の代表作の一つを映画にしようとしていた。 この「錦繍」をはじめ短編から長編まで数多くの宮本作品が映画人たちの創作意欲をかきたててきたのだが…。 日本映画界屈指のヒットメーカー 行定 勲。 29歳で 監督デビュー以来その行定が対談の舞台に選んだのは生まれ故郷 熊本。

すごく こう…何か 痛い気持ちでしかないのでなかなか直視できなかったんですけど2週間ぐらいたってからですかね熊本城を夜ねライトアップするようになったんですね。 僕は そもそもどっちかというと…で ただ ある時に何ですかねまあ熊本で 映画祭をちょっと手伝うようになってそのフェスティバルディレクターみたいな事やるようになって。 何か 気持ちとしては 熊本に少し寄り添いたくなるような何か普通の物語の中にたまたま その背景に熊本城があったり阿蘇があったり。

決して映画監督になれなくても映画の人生…まず その助監督にどうやってなるんですか?意外とね簡単になれるんですよね。 「監督は 助監督の経験 長かった…10年もやってたんですか」。 20年やってもよかったぐらいですね 助監督。 僕ね 助監督 長くやってて監督に2つの種類がいてこの人は 本当に映画を作りたいんだなあと。 この人は映画監督になりたい。 窪塚洋介演じる在日韓国人高校生の愛と青春の苦悩の物語だ。 行定は 若者たちの在日問題を見事に映像化した。