先人たちの底力 知恵泉▽天下統一の秘策は城にあり!~若きカリスマ 信長の知恵

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この番組のまとめ

この人にならついていきたい!そんな人 周りにいますか?戦国の世をまさに風のように駆け抜け天下統一の志半ば49歳で この世を去った天才武将 織田信長。 しかし そんな信長も名だたる武将たちが群雄割拠する中尾張の一弱小武将にすぎない信長は世間から ほとんど注目されていない存在でした。 信長最初にいたのが 那古野城でそのあと 小牧山に移ってその後 岐阜 そして最終的には安土へ移るんですけど信長は だから戦国武将には珍しく引っ越しが好きなんですよ。

これが信長が 小牧に城下町をお城と一緒につくった時に信長が 生涯で初めて整備したこの城下町は南北1.3キロ東西1キロにわたってまさに 鍛冶屋の道具。 江戸時代の城下町の先駆けになるような…実は その事こそが美濃の家臣団を切り崩す切り札になると信長は考えていました。 というのも信長の城下町づくりには実は お手本があったのです。 それは 斎藤道三のつくった美濃 稲葉山城の城下町。

美濃攻略を成し遂げた信長は…そして その僅か1年後室町幕府 最後の将軍となる足利義昭を擁して 京の都へ。 実は最近 信長の上洛に関する新しい史料が熊本で発見されました。 当時 義昭は 「自分を京へ連れていってほしい」と上杉景虎や朝倉義景など 幾人もの有力大名に 声をかけていました。 信長は まだまだ尾張一国を統一したばかりの義昭や 他の大名たちに他の誰でもなく 自分こそが上洛にふさわしい 天下人だと認めさせるにはどうすればよいのか?そして 導き出した答えは…。

信長は まさに天下人にふさわしく人々が見上げる山の上に暮らしふもとで暮らす 下々の者との立場を明確に区別しました。 これは もう想像でしかないんですけれどもやはり これから天下統一を目指そうとする信長…足利将軍家がつくった 京の文化の極みを わざわざ取り入れ客人を もてなしていたのです。

信長は この札の中で岐阜に引っ越し 暮らす者には常に 自由に商売できる権利を与えると宣言。 大正のころまで 岐阜には楽市楽座という 青空自由市が残っていたそうです。 博物館には 信長時代の岐阜の町の様子がお風呂じゃないですよ。 どうしても信長の楽市楽座っていうと安土って 皆さんイメージがあると思うんですけど岐阜の方が先ですよっていうね。 やっぱり 信長っていうのは岐阜で やった事を次の安土で更に グレードアップするっていうかね私 だから やっぱり…そういう階段を上っているなというのを分かりました それは。