日本の話芸 神田紅 講談「春日局家光養育」

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この番組のまとめ

天正7年明智日向守光秀の家老斎藤内蔵助利三の末の娘として生まれました。 年 わずか4歳の時にあの 本能寺の変がありまして明智は 三日天下と言われたんですけれどもそのあと 続く 山崎の合戦で明智勢が敗れてしまったために稲葉正成という人の後妻となるんですけれどもこの稲葉正成という人はあの関ヶ原の合戦の時に裏切り者となりました小早川秀秋の家来なんです。 「明智の一族で音に聞こえし斎藤内蔵助殿大した御仁じゃ。 さて 二代将軍 秀忠公御台所 お江与方様産み参らせましたのが若君でございました。

それを あえておいたの故をもって御廃嫡と相なりますれば二百六十余大名 旗本八万旗の聞こえも如何。 九度山村に幽閉されておった真田幸村が左の袖は赤絲をもって威し右の袖は白絲をもって威したる源平威し分け 縫い止めの胴丸。

明くる朝 また 大御所公早く 目をお覚ましになってトントントントント~ン天守閣に お登りになりました。 この知らせを聞いた二代将軍 秀忠公「狩鞍の途中に親父が江戸入り」と聞いて「何か企んでるかもしれないな」と思ったんですけれども先触に 「孫の顔を見たし」と書いてあるもんですからしかたがございません。 竹千代君 国松君 それぞれに「失礼のないように高輪辺りまで出張ってしっかりと お出迎え致せ」との ご沙汰でございました。

暗いうちから竹千代一行 国松一行は高輪の辺りまで出張っていきまして道を挟んでそれぞれが待ち受けております。 下座触れ 制止の声もろともに大御所公を乗せた駕籠が品川辺りに さしかかりますとそれまで ザワザワ ザワザワざわついていた連中一瞬 水を打ったかのようにシ~ンと 静まり返ってしまいます。 「国松か」という呼び捨てしかし 竹千代君に対しては「竹殿か」とすでに 身分の隔たりを思わせる呼び方でございました。 ホラホラホラホラ何か 竹千代君が お爺様に一生懸命 申し上げようとしてるじゃないか。