カルテ上は統合失調症というふうに10人いれば10人統合失調症と言われるんですけどそれは脇において自分で自分がイメージする病名を付けてみたらっていうと自分は生きてるんだ とかこの病気という経験も自分の大事な生活の一部なんだという事でみんなと分かち合える大切な材料になりますね。 自分が自分らしく 自分のペースで自分の生活の範囲内で病気という経験 つらいけど大変なんですけど自分のものとして取り戻すっていうのは とっても大切な多くが長期入院となりました。
それも ただ曖昧な声じゃなくてどこどこの誰々さんに言われたとか 非常にリアルなまるで そこに人がいるかのような感じで言われる声が比較的多いんですけど人間関係と同じで言われたからといって言葉を返すと また余計ケンカになってしまうし。 人から そう言われても 上手にいなしたり 優しい言葉で返すと不思議に 聞こえる幻聴も穏やかになってくるとか。 あ 幻聴さんとケンカしちゃダメなんだ とか幻聴さんには優しくしてあげると幻聴さんが突然帰ってくれたりとか幻聴さんが 分かったよって言ってくれたりとか。
きっと地域は いろいろ独特の目で見るだろうしそして みんなが学校行ってる間に自分は学校行かないで川べりを散歩してる。 当時 ベトナム戦争が泥沼化してたり国内を見ても大学紛争が激化して安田講堂の闘争とか学生紛争が吹き荒れていて。 私は新聞を読むのがとても好きな子でしたから新聞を隅々読む中で 自分の中に入ってくる世界の情報と自分の現実が全部ミックスされて大人になっていいんだろうかって。
今の べてるで苦労を大事にされてるのは分かるんですけどどうして学生時代から苦労しようと思われたんですか?私 やはり…。 高度成長時代にずっと育ってきましたからもう毎年のように 目の前の風景が物で こう 埋め尽くされていく。 そういう自分の感覚が 学生時代いろいろ経験をする事で…。 一番の高度成長時代に育ってきた自分たちにするともう真逆な風景ですよね。 それは どうしてかというと私は学生時代さまざまな当事者運動 当事者活動に関わってきましたので。
現実的には 私は精神科の診療チームの一員としてそこに最初に配属されたわけですけどそこには あなたは必要ありませんって言われたわけですから経験でしたね。 べてるの物語と 潔さんの回復が一緒に起きるようなイメージがあったんですけど潔さんは相変わらず 相変わらず入退院を繰り返すわけですよね。