フランス革命に影響を与えた思想家として広く知られているんですがそんなルソーの名著 「エミール」を4回にわたってご紹介したいと思います。 数も すごいんですけれどもジャンルも さまざまでして有名な論文「人間不平等起原論」ですとか「社会契約論」。 これは聞いた事ありますね「社会契約論」。 悲恋も含めた小説で これ もうめちゃめちゃにヒットしまして…あれと 「社会契約論」が一緒の人だという。
そのためにルソーは まず 15歳くらい第三編までは 徹底的に自分のために生きる人間「自然人」として育てるという方針を打ち出しているんですよね。 だから 「自然人」 かつ「社会人」になるわけですね。 「一般意志」というのはその「社会契約論」の 一番大事な考え方というか 概念なんです。 でも何か 「エミール」と「社会契約論」全く一緒だなと思ったのはこれこそが 「自然人」と「社会人」を共存させるというか 自分の。
この人は やっぱりちょっと なかなか屈折してて知識人のサロンとか そういう所に出はいりしてるようなええとこの坊っちゃんで きた人たちに対してコンプレックスも恐らく あったと思うけどでも逆に 「いや 俺はあんな連中とは違う」という誇りにもしてるというか。 ただ 理想の教育論というのを「エミール」で書いたりしていますけれどもそれには似つかわしくないスキャンダルな面もあったんですよね。 さっきの 「学問芸術論」ですごく注目が だんだんされていくわけですけれども大変な大スキャンダルになっちゃった。
家庭教師ルソーは 都会を離れ自然豊かな田舎でエミールを育てます。 この感覚や感情 欲求そういったものを自分のものとしてちゃんと自覚できるって事が特に 「自然人」教育では非常に重要になってきます。 さあ 次回は引き続き「エミール」の第二編と第三編です。 今回は第二編と第三編を見ていきます。 そして第三編は 少年後期 15歳。 ここでルソーは エミール君 どんなふうに教育するんでしょうか?基本的には 第一編と同じで自分のために生きる人間に育てていこうというわけで「自然人」教育ですね。
自分が相当 悔しい思いをして恐らく皆 夢を持つのはいい事だと言うかもしれないけどこの挫折から立ち直れなかった時期がさあ エミール君に 存分に子供時代を満喫させながら畑は めちゃくちゃに掘り返されていました。 当時フランスの子供が みんな読んでた童話があるんですけどそれを 例に引いて一段落ごとに分析してこの時期の子供にはまだ無理だよ。 正しくルールを守ったり 人間同士の約束事を守るという事よりもずる賢いやつの方が かっこいいという事を学んじゃうよと悪の軍団の方にも変な魅力を感じるでしょ。
家庭教師としては 分が悪いよねなんて 書いてるんですよ。 でも これちゃんと家庭教師 見守ってて危ない時があれば ぱっと取り上げたり 助けたりする。 好奇心を刺激して「どうなってるんだろう」「これ なぜ?」というふうに子供自身が 問いというか疑問を持つようにさせていく。 ある日 家庭教師とエミールは沈んでいく太陽の見える場所を散歩します。 家庭教師は 幼いエミールの好奇心を刺激するために何の説明もせず こう言います。
家庭教師とエミールは その森が自分たちの暮らす モンモランシーの北にある事を観測します。 翌朝 家庭教師の提案で森へと散歩に出かけた二人は道に迷います。 家庭教師は 森がモンモランシーの北にあるのだから地理や天文学が役立つ事を実感させたのです。 そこで家庭教師ルソーが提示するのがこんな社会なんです。 思春期を迎えたエミールにルソーは「社会人」教育を始めます。 家庭教師は どんなふうに育てていこうと思っているんでしょうか?第三編までは まさしく自分のために生きると。
自分の意志とか 理性と違ってお隣に 似た言葉で「自尊心」という事が書いてあるんですがこれ ×が付いてます。 では ルソーの考える自己愛と自尊心についてお聴き頂きましょう。 ここで あえて言葉を分けるとするならばその 「自己愛」に対しての「自尊心」なんですけど「自尊心」は はっきり区別して駄目だと言ってますよね。
それで 途中にある聖職者を登場させてその昔 ある貧しい青年が飢えをしのぐためにカトリックの救護院に入ります。 そんな青年を助けてくれたのがある聖職者。 聖職者は 自暴自棄になっていた青年を救います。 生き方の原則というのをいわゆる 「聖書」の理解から教えてもらうのが僕は 聖職者なのかと思ってたからそれを 自分の内面から考えるんだったらまた別の感じの職業かってちょっと。 聖職者の告白という形を借りて神や信仰に関する ルソーの思想が語られます。
ついに今日は 最後の第五編を読み解いていくんですが伊集院さん 赤ちゃんの時から見守ってきたエミール君がついに結婚に向かっていきますよ。 エミール君の結婚物語が始まりますがどのように始まっていくんでしょうか?実は 第四編の一番最後にそろそろ 奥さんの事 考えようよという話が出てきてそれで 2人で いろいろ理想の女性像についてあれこれ想像するんですね。 その想像した 架空の恋人の事を家庭教師が「ソフィー」という名前にしようよというふうに言うんです。
職も就かなければいけないしそこで エミール君に講義をするというんじゃなくて いきなり…「社会契約論」は 権利や正義法の正当性はどこから来るのか?という問いから スタートします。 まず ルソーの考える「社会契約」のもとでは個人の財産や所有物というのがどうなるのか説明して頂きましょうか。
「一般意志の最高指揮にゆだねる」という表現も当時としては革新的だったそうですね。 僕 常々思ってる事があって安全・安心に お互いの都合もね多少 勝手かもしれないけど「自分って こう感じるよ」というのが言えるというそういう雰囲気がつくれないといけないと思うんですね。