こころの時代 アンコール 日本仏教のあゆみ~信と行 第五回「禅−自己を求めて」

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この番組のまとめ

一般に 「五家七宗」というような事が言われまして日本には今 臨済宗それから 曹洞宗とありますがその他に 仰宗これは山霊祐 仰山慧寂という方によって作られたといいますかねまあ そういう家風が作られたと。 五家といいますと臨済宗 仰宗曹洞宗雲門宗 法眼宗。 七宗というのはその臨済宗の中に黄龍派と 楊岐派という二派が出たと言われておりましてこれを全てまとめて言いますと五家七宗という事になるという事なんですね。

そして 日本に渡ってきたといいますか栄西や道元が日本に持ち込んできた禅運んできた禅なんですが同じ坐禅でも例えば 栄西の坐禅とそれから 後で触れて頂く道元の曹洞宗の坐禅とは決して 同じではないという事のようなんですが。 という事で 臨済宗それから 曹洞宗についてこれから 少し詳しくお話を伺っていくわけですがまず 臨済宗もちろん 栄西なんですが神官の子として生まれました。 栄西は 天童山で臨済宗 黄龍派の禅を4年にわたって修行します。

「見性」という言葉は禅宗でよく使われるんですけれども一般的には 自己の本性を見る事だというような解説がなされます。 まさに 不立文字といいますか今の言葉の一番最初のところにもですね「文字を離れ」という言葉がありますね。 その事を究明させて 禅の境地というものを体得させていくと公案修行というのは そういう師と修行者が向き合って与えられた公案 それを坐禅の中で回答を見いだしていくわけですね。

これはですね 「父母未生以前本来の面目」という公案は夏目漱石が 円覚寺に参禅して老師から与えられた課題なんですね。 「無門関」といいますのは?これは やはり 修行上 非常に有力な実行性のある公案を50ですね 50個ばかり集めてそして 編さんした書物があるわけですね。 「無」という字なんですけれども無門慧開さんはですねこの公案を出したあとに解説するわけですね。 これは 「趙州狗子」のですね公案を与えられた修行者。

臨済宗はですねまあ 栄西が鎌倉時代に伝えるわけですけれどもそのあと 応・燈・関といいますが大応国師 大燈国師 関山慧玄というですねこういう方々が出て栄西が伝えた黄龍派とは異なる楊岐派の禅を伝えるんですね。

これは 悟りの境地ですからまさに 不立文字 教外別伝で我々も うかがい知る事はできないんですけれども今まで とらわれていた自我ですね他者と区別された自我といいますかねそういうものへのとらわれがすっかり解けてですねそこに道元禅師の悟りがあったと言えるんではないかと思いますけどもね。

晩年 永平寺での正式に法堂に上っての説法先ほど 竹村さんは結局は 自己とは何ぞや。 世界全体から 自己の本来の姿が照らされるといいますかねそこで 自覚されると。 自己は自己としてまた掛けがえのない自己としてそして それぞれの命が続いていくわけですけれどもしかし 根本的な姿 相としては「自他不二」でありでも まあ この辺がただ修行が修行に終わらずに実践に続いていくというその道筋が悟ったからといって修行が終わるわけではないんだと。

その時に 臨済もそれから曹洞宗の方もですね同じように受け入れられていったわけですか?浸透していったわけですか?臨済宗は そういう事で武家階級を中心に…階級といいますかね武士の世界を中心に広まっていきます。 それから 特に京都では南都北嶺 比叡山等からの圧迫を受けたりして最終的に 福井県の永平寺ですねあそこに引き籠もるという事になりまして非常に厳格な仏道修行を展開しましたのであまり 一般に広まる要素はなかったんですね。