そんな万次郎の知恵を読み解くのは 22年にわたり東南アジアで 医療ボランティアを行ってきた…その活動は ミャンマーで始まりました。 その原動力とは 何なのでしょう?過酷な現実に向き合う道を選んだ吉岡さんは苦難に流されず 的確に自分の道を選び続けた万次郎の知恵を年間4か月だけですね。 島に たどりついてから…お~い!お~い! 助けてくれ〜!なんと 万次郎たちの目の前に大きな船が!アメリカの捕鯨船 ジョン・ハウランド号に救われたのです。
捕鯨船の上で役目を果たし 仲間の一人として認められた万次郎。 いよいよですね若くして アメリカに渡る事になった万次郎ですけれどもその先で 更なる困難な状況が待ち受けているんです。 16歳になった万次郎はアメリカ東海岸のニューベッドフォードに到着。 父を早く亡くしていた万次郎にとってホイットフィールド船長はまさに父親代わり。 一方の船長も まだ子供がおらず日本人である万次郎を我が子同然に育てていきました。
万次郎は この時の決断を育ての親である ホイットフィールド船長につづりました。 日本に港を開くよう促す事ができるのは外国人の立場を理解している日本人 つまり…万次郎はそう考えたのです。 万次郎は 帰国するための旅費を稼ごうと驚きの方法に目をつけます。 カリフォルニアに向かった万次郎。 現在の価値で…万次郎は 欲望に流される事なくもう 目的は果たしたと金探しを やめてしまいます。 ゴールドラッシュ サンフランシスコからハワイに寄って残された 4人の仲間に会いに行くんですね。
万次郎はアメリカのスパイではないかと疑われ一度は決まった通訳を外されてしまいます。 更に 万次郎は日本初の英会話辞典も執筆。 43歳になった万次郎は政府が派遣した海外視察団の一人として再び アメリカを訪れました。 漂流し命を アメリカ船に救われてから数々の困難な選択を迫られた万次郎。 これがですね万次郎が暮らしたニューベッドフォードの図書館にあったらしいという事でその再会した時の写真ではなかろうかと言われている。 万次郎と船長のホイットフィールド。