小野田元少尉の救出問題というのが極秘の電報に記されたマルコスの言葉。 残留日本兵 小野田寛郎の帰還。 新発見の資料から知られざる潜伏生活の実態と日本とフィリピンが繰り広げた外交交渉の舞台裏に迫ります。 22歳の小野田寛郎は 命令によりこの島に着任しました。 厚生省援護局の職員が帰国直後の小野田に秘密裏に行った聞き取り調査の記録です。 その 小野田元少尉が 戦争はまだ継続してるんだというそういう主観があって。
現在の静岡県浜松市二俣にあった陸軍中野学校の分校。 スパイ養成機関だった陸軍中野学校の中で二俣分校では 特にゲリラ戦の幹部を養成していました。 小野田君なんかがルバングへ渡る時は…師団長からの命令をもらっとったわけです。 残留日本兵に対しジャングルの中に 山砲を撃ち込むなどの掃討作戦を考えていたフィリピンの警察軍が作戦を中止するというのです。 日本とフィリピンの間で賠償協定が締結されます。 フィリピン政府の許可を受け厚生省と家族を含めた大捜索団がルバング島に向けて 出発しました。
だから 小野田はね信じなかったというのは捜索団の政府代表は一つの判断を下していました。 クリスティーナさんにはおなかの赤ん坊と「いわゆる ストラグラーなる者と会っている者があり小野田少尉の写真至急 入手 お願いいたします」。 マニラの日本大使館に勤務し残留日本兵に関わった…何とかしなきゃならないという思いがあるけれどもそういう問題と正面から向き合う事が日本政府の中で 面倒くさいという事だったんじゃないかな。 そこには 小野田救出に至る外交の舞台裏が克明に記録されていました。
まず 卜部は ルバング島に向かうヘリコプターの機内で大統領の側近アレハンドロ・メルチョール官房長官に小野田の行為が罪に問われないよう働きかけます。 この2日後 マルコス大統領は小野田の救出と帰国に 国を挙げて協力すると確約します。 小野田による被害について見舞金を個人に支払えばフィリピンだけじゃなくてそれ以外の国々でも同じようなケースが 続々と出てくる事も考えられるんでね。 卜部たちはルバング島民への配慮を示す事で小野田救出への道筋を作り上げていきました。
鈴木特使の役目は両国の協力関係を確認し贈呈式で マルコス大統領に見舞金を渡す事でした。 卜部大使は後に 外務省への報告で大統領の心境の変化について当時 マルコス大統領の恩赦を伝えた日本の新聞です。 贈呈式の翌日鈴木特使の意向を受けた卜部は大使公邸で予定されていた晩さん会の直前にマルコスを 別室に連れ込みます。 基金を使って 日本への留学生の支援や 語学学校の運営など公開された極秘文書から浮かび上がってきた小野田救出をめぐる 外交交渉。