こころの時代~宗教・人生〜「自作の仏像マンダラに囲まれて」

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この番組のまとめ

♪~今日は 鳥取県の倉吉市の集仏庵に仏師の山本竜門さんを お訪ねしているわけでございますがこの ご自分では仏像曼陀羅に囲まれて暮らしてるとおっしゃっていらっしゃるその集仏庵にお邪魔したわけですがこの集仏庵を作る きっかけになったのはここの倉吉の高校を出られて東京へ出られた帰りにその 上丹生という米原市の。 最近 米原市になりましたけれども福井県の境にある山奥の上丹生というところにお入りになったという事をお書きになってるもので拝見したんですがこれ またどういうところでそういう方向にいかれたんでございますか。

写真を頼りに仏像を 彫ってみたんですがテレビを見ておりましたら 京都の大仏師の 松久朋琳という先生が仏像彫刻をやりたい者が あればプロでもアマでも 誰でも教える月に 4回ほど行きましたけどね。

それをまた 山本竜門さんは竜門流に解釈してこうだろうと彫られていくわけですね。 その場合は きちんとその伝統的な技法というか伝統的な仏像を 彫らなきゃいけないという事になると自分なりの 我流みたいなのはとても出せないわけですね。 ただ 今 お伺いしたのはその円空さんの場合もですね 山本竜門流に 彫られるという場合はもう 勝手に好きな事をやってもいいそれで満足という事にはならないんですか。

自分のところへ いらっしゃいいらっしゃいじゃなくてねまあ 確かにお地蔵さんというのは日本中 いろんな形でいろんな所にまあ 石の地蔵さんが多いわけですけれどもその 好きなお地蔵さんを自由に彫られるという事はやっぱり いろんなところのお地蔵さんを ご覧になったりそう パッと頭に浮かぶ。 あの 有名な松久朋琳先生ですが…。 やっぱり そういうのは ご自分でそのお地蔵さんを彫りたいとか他の仏さんももちろん 彫りますけどお地蔵さんが 一番多いです。

で 私が自分で客観的に見ますとやっぱり 偉い如来さんよりも菩薩さんの方が気楽に自由に 出てこられるような気がします。 私の思うままに誰からも 強制されたり願望されたりじゃなくて自分が彫りたいようにその時々 出会った木を彫ってきたものなんですね。 それで そういう場合に自分が描きたいという仏様はそうではないのを彫っていると予想外に いいものができたりしますね。

もう これは 膝の上の童子も本体も 一本の木だと一木造だという事が 特徴ですね。 そのかわり 8時間労働というわけでは ないですから朝早くから 夜遅くまで1人の時ですからね。 ですから 単純に 何日何時間とは 言えないですよね。 だから もう全てがいわゆる 計算をした部分とでも 今日はここまであしたは ここまでそうすると 大体いつごろほぼ 仕上がるだろうというのは自然に計算できますから。

だから まあ 自分で言うのもおかしいんですけど多分 これだけ仏像を彫った人まあ 昔の円空さんなんかなら別にしまして正統派も含めて両方で やってます。 詩人なんて 自分はね彫刻師だよと思ってたけどその方の熱意に ほだされてまあ 「1回だけ顔を出します」と言って 行ってみたらね合評会ですね。 すると その詩人大野 新というんですけれどねこの方が 私の詩についてどう言ってくれるかなっていうのが 最大の関心で。

お話を伺っていますと詩というのは 言葉によってある世界を 表現しようとする。 いわば そのものが目的ではなくて言葉が 目的ではないし木が 目的ではないけれども結果的には その奥にある働きみたいなものをこう 表現しようという。 ただ そういう言葉を探すのにはその 熟練度が要るしだから 国宝でも重文でも全国に いっぱいありますけどね当然こちらは あの仏さんが一番好きだとかって現代の人が 昔のものを見て感じる感じ方も当然 変わってきてるという事かも しれませんね。

あれは 多分江戸時代ぐらいから 生えて。 じゃあ イメージとしてはですね一方では その 文学でいうと純文学的な方向としてはそういう 伝統的な仏像で 儀軌に従った仏像。 福の神の方は 大衆文芸の方だとそう おっしゃってますけれども竜門さんの場合は 両方 両建てで彫刻をなさるという事なんですね。 いや でも本当に禅の場合はあれ 窮屈に 最初はしごかれるようですけれども本当は 自由な世界に出るためのそれまでの枠を取り外すための訓練が 厳しいわけで…。