先人たちの底力 知恵泉「政治家はズルくあれ?~桜田門外の変への道〜」

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この番組のまとめ

この時それぞれの意見を リードする二人の政治家が登場します。 先の見えない混迷の時代リーダーとして国を導くには?幕末 二人の政治家の知恵に迫ります。 政治家の いわゆる オフレコ発言を引用し 本音を暴いたこの記事は政治家のタブーに切り込んだと大きな反響を呼びました。 そうそうたる 大物政治家の方とお仕事をされている。

そこで はっきりとしたリアクションを見せたのが直弼と斉昭の二人だったんですけれども当時としては ああいうリアクションというのは珍しかったんですか?そうですね。 その混迷を深めた幕末で対立する 二人ですけれどもまずは攘夷派 徳川斉昭の知恵を味わっていこうと思います。 水戸藩の7代藩主 徳川治紀を父に持つ斉昭は幼い頃から この尊皇攘夷の思想をたたき込まれていきます。 「不如法」 仏法に背いているが故に住職を追放するというような「攘夷派の旗手」として斉昭の名は高まり攘夷思想も 急激に全国へ広がっていきました。

イギリスが輸出した 麻薬…西洋につけいる隙を与えないためには…現実的な落としどころを探った結果がこの和親条約の締結だったのです。 未曽有の危機にあって平和裏に国を守ろうとした徳川斉昭の知恵でした。 直弼は 開国派としてさまざまな提言を行い…アメリカ総領事 タウンゼント・ハリスは通告します。 幕府は孝明天皇に 通商条約調印の許可を願い出ます。 天皇が 幕府の方針に 事実上ノーを突きつけてきた事でアメリカとの交渉は暗礁に乗り上げてしまいました。

しかし この調印…京都の井伊美術館には条約調印までの いきさつが記された史料が保管されています。 つまり条約は 本当は できるだけ先延ばしにせよという井上信濃守でしたか 岩瀬忠震とか直弼が命じていたんですよ。 その日の夜条約調印に至った事を直弼は周囲から 厳しく責められます。 でも 交渉役の井上清直とか岩瀬忠震という人たちはこれは 海外の情勢にも非常に詳しいんですね。 まあ直弼も しかたがないとは思いながら最終的な決断はあまり したくないという。