こころの時代 アンコール 日本仏教のあゆみ~信と行 第六回「慕われる僧たち」

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この番組のまとめ

これまで5回にわたって6世紀の飛鳥時代聖徳太子に始まりましてそのあと 奈良 平安 鎌倉とその時々の仏教思想を見てまいりました。 今回が最終回になるわけですがお話は いつものように東洋大学学長で 仏教学者でいらっしゃる 竹村牧男さんです。 その大勢の祖師方以外の仏教者の中から竹村さんにはですね 4人選んで頂いたんですね 今日は。 そして 更に現代に至って禅や浄土真宗を研究し日本人の宗教意識に迫りその思想を海外に紹介した仏教学者の鈴木大拙。

念仏といいますと我々は もっとあとの時代の例えば法然とか親鸞とかというふうに思うんですけれどもつまり法然や親鸞よりも200年以上も前にこういう事を言っていたわけですね。 これは実はですね唐の時代の飛錫という人の「念仏三昧宝王論」という論書に出てくる言葉なんですね。

最初の「明徳」っていう事なんですが12歳の時にそれが分からなくて…というお話がありましたが結局 その明徳っていうのは今 お話を伺ってきていますと不生に たどりつくといいますか不生のところに到達するまでの…?到達するまでの というよりも何ていいますか 盤珪さんはうなずいたんじゃないでしょうかね。 不生というところに霊明なる仏心を自覚すると。

晩年に慈雲さんが密教更には 梵学 サンスクリットですね。 それで そのサンスクリットの文献まあ サンスクリット語学 あるいは文献を集めた著書として「梵学津梁」という書物があるんですね。 サンスクリット語っていいますともちろん インドですよね。 だから一味和合してそして仏教界をもりたてていきましょうというような非常に何ていいますか真摯な姿勢で仏教界に臨まれたと。 一方で そういう出家のお坊さんたちには非常に厳格な仏道というものを訴えたと思いますが一方では 民衆に一生懸命働きかけていくわけですね。

それから不悪口というのはいわゆる悪口というよりも粗暴な言葉遣いをしない。 今日で言えば ハラスメントになるような言葉遣いはしないとかそんなような事。 不両舌というのはですね「両舌」とあると 二枚舌でうそじゃないかと思うかもしれませんがこれは 仲たがいさせるような言葉を遣わない。 さて空也と それから今慈雲まで見てきたわけですがもう一人 選んで頂いたのが現代になりますが鈴木大拙さんですね。

鈴木大拙といいますと同じ金沢の出身で哲学者の西田幾多郎との交流という事がよく言われますけれども2人の関係ってどうだったんですか?それはもう第四高等中学校の時に一緒のクラスになるんですけれどもそれ以来 生涯ですねほんとに何といいますかね人生の根本問題についてその深いところを常に対話し続けたそういう間柄でしたね。 浄土真宗の大谷大学へ奉職する事によって 真宗に触れてそして 禅と真宗の一つのところそれを見極めていくんですね。