こころの時代~宗教・人生アンコール▽母なる神への旅〜遠藤周作“沈黙”から50年

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この番組のまとめ

小説「沈黙」の舞台は江戸時代 キリスト教が弾圧されていたころの長崎です。 今回 山根さんが「沈黙」の舞台となった長崎を訪ね信仰を捨てなかった 日本人信徒と外国人宣教師26人が十字架に かけられこの場所で殉教しました。

やはり 最初 ロドリゴは神父として 司祭としてそれのプライドを持ってるというか自尊心やそれの義務感がありますからそのために 自分が 踏絵を踏んではいけないっていうそれを背負ってやってきたというとこですね。

潜伏キリシタンの信仰を今も守り続けている…遠藤先生が こちらに何度も お訪ねになったというそのころの事お話は お聞きでしょうか?私のおじいさんの村上金七さんの事で52年前ですかね遠藤さんが 東京から来てまだ 50年前というのは信仰も 声を出さずにやっとったもんですから皆さんに 公表するのが公表してもなかったしまあ 私に言わせたら潜伏時代という感じでそやけん その当時は人から人への伝わりじゃないですか。 潜伏時代というのは もしキリシタンだというのが分かればそれこそ 獄門の刑に遭うという大変な時代ですよね。

ロドリゴ自身は まずは 自分をキリストと重ねていってたわけなんですね。 それはキリストの方が変わったというよりもロドリゴ自身の受け取りがそういうふうに変わったという事ですか?やはり 西洋の力強い 強い男性的な神の正義の神っていうそういうイメージに対して遠藤さんは自分の文学を通してそれと違うまさに女性的な 母的なそういう神のイメージを突きつけてきた。 今年8月 長崎市にアメリカ ポーランド 韓国などから遠藤文学研究者が集まり国際シンポジウムが開かれました。

ロドリゴは これまで縛られていた自らの信仰の形から「沈黙」の最後の9章の最後本文の一番最後は「こうして この神の愛に出会うそうした神を愛するこの愛を知るために 今日までの全てが必要だった」って私たちは なかなか神というものに出会うなんて事はないですよね。 結局 キチジローは 作品の中では自分の兄と妹と 3人で捕まって訴えられてですねそしてキリシタンとして捕まったあと自分以外の兄と妹は踏絵を踏まないで火あぶりの刑で殉教しているんですね。