ソビエト連邦によるアフガン戦争で人生を裂かれた若者ソ連崩壊に絶望し自殺した老人やチェルノブイリ原発事故の被災者。 在日朝鮮人として 徐さんもまたマイノリティーの問題や歴史の闇に消えていこうとする人々の人生に光を当てその体験の中で 徐さんも数々の「小さき人々」に出会いました。 私の兄が2人長い間軍事独裁政権時代の韓国で投獄されていました。
1986年に起きた チェルノブイリ原発事故。 爆発したチェルノブイリ原発から100キロ余りの地域です。 アレクシエービッチさんは10年間に及ぶ取材をまとめ出版から15年が過ぎようとしていた2011年。 再び 巨大原発事故が日本の福島で発生。 以来 福島の「小さき人々」に会いたいと考えてきたアレクシエービッチさん。 チェルノブイリはある世界と 別の世界を分ける境界線なのだと。 チェルノブイリの周辺に健康な子供はいません。
チェルノブイリ原発事故のような出来事はソ連だから起きた。 原発事故で避難を余儀なくされた「小さき人々」の声を求めアレクシエービッチさんは福島に向かいました。 小高で アレクシエービッチさんが最初に出会ったのは小高商業高校の元校長齋藤貢一さんでした。 震災発生当時齋藤さんは教職員と共に津波に襲われた住民の救援に奔走しました。 彼女の話を聞き 齋藤さんは津波に原発事故が重なるとそうですね。 その生徒はたまたま 20キロの外の避難しなくてもいい場所に避難指示解除から4か月。
チェルノブイリでは半径30キロ以内という圏内がもう全く基本的に人が住んではいけない地域として一方 福島では あんなにも早く人々が戻ってきていました。 今年 国は 汚染地域の避難指示解除を次々と進めました。 飯舘村から避難した人々が暮らす伊達市の仮設住宅。 避難指示解除が間近に迫った頃でした。 子供や孫とは 原発事故後離れ離れになり1人暮らしを続けてきました。 事故から1週間後村の牛乳の放射線量が基準値の17倍に汚染された事が判明。 長谷川さんは原発事故から3か月後仲間の一人を失いました。
チェルノブイリまで訪ねていって 現地の様子を見たりされましたよね。 ベラルーシは全体主義国家ですがそれは 全てを国家がコントロールしているという事です。 社会主義であれ 資本主義であれ国家は どこも似たようなもの。 チェルノブイリ。 今 ロシアのプーチン政権下でアフガン戦争はテロ対策上 有用だった正しかったというような再評価が進められているというような事がその記事には書かれていました。