先人たちの底力 知恵泉「宮沢賢治 “好き”こそ苦しみと生きる道」

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この番組のまとめ

この言葉を生んだのは東北岩手の地で童話や詩をたくさん書いた 宮沢賢治。 そんな斎藤さんから見て宮沢賢治というのはどういった人物ですか?すごく変わった人だったろうなという感じは すごくあってひきこもってたわけじゃないですけど…ひきこもり的?ええ。 宮沢賢治さんの場合は好きな事をやっていわゆる ごまかすというか気を紛らわせるまずね 1つ目 「出口の見えない不安から抜け出すには?」。 宮沢賢治は1896年岩手県中部の町花巻に生まれました。

小学校を卒業すると 賢治は父の勧めで 盛岡の中学校を受験し進学します。 将来に希望が持てず 無気力になっていった 中学生の賢治。 短歌は 賢治にとって文学の出発点となるものでした。 宮沢賢治文学の専門家千葉一幹先生。 中学生時代っていうのは ほんまにああいう ちょっと ネガティブな短歌ばっかりなんですか?そうですね。

「私は 殆んど 狂人にもなりさうなこの発作を機械的に その本当の名称で呼び出し東京に出た賢治はアルバイトをしながら教団の活動を手伝い夜は 下宿で童話の創作に没頭しました。 単純に…童話の中に理想の世界を作り上げる事でそれまでの鬱積した思いを晴らしていった賢治。 賢治は 周囲の人に対し「もし これらの童話が出版されたら日本の文壇を驚かせるのに十分な傑作になるはずだ」と豪語しました。

これまではですね賢治個人の生き方に対する格闘を見てきたんですけれども賢治の人生に 更に大きな試練が降りかかってくるんです。 東京での暮らしも童話は 一向に売れず仕送りに頼っていた賢治。 「今度 生まれてきたら自分の事だけでなく賢治は 北へ。 生徒の 就職の依頼が目的でしたが賢治にとってはトシの魂を追い求める旅でした。 賢治は 行くさきざきでトシの魂が たどったであろう光景を懸命に想像しようとします。 同じ頃 賢治は 自分とトシをチュンセとポーセという 主人公に託した童話を書いています。