ふだん この番組ではね画家とか彫刻家とか美の作り手側を取り上げる事が多いんですけれども今回の大岡さんは詩人でいらっしゃいますでしょ。 大岡さんは どのような言葉で私たちを 美の世界へといざなってくれるのでしょうか。 まずは 大岡さんのその美の言葉の世界をちょっと のぞいてみましょう。
僕は どちらかというと聴覚型で大岡は どちらかというと視覚型のような気がするんだけど。 お互いに 画家さんとか作曲家の友達 多いんだけど僕は 多分 音楽に触発されて書いた詩の方がマックス・エルンストとかねそういう人の絵を見てそれにヒントを得て 書いてるから。 本当に我々は 青春時代というか僕が22歳 大岡さん31歳ですからほんとに若いですね。 実はね 私も分からないというふうに言って切り捨てそうになった絵を大岡さんのおかげで救われた経験をつい この間してきたんですけれどもちょっと VTRでご覧下さい。
サム・フランシスは アメリカの抽象表現主義を代表する画家です。 色の… 非常に 色の天才的な父も ちょっとサム・フランシスと会った事があったみたいなんですけどね。 でも サム・フランシスにも こういう色のやっぱり これも白の中に いろんな色があるという感じなんでしょうか。
木で作られた箱の中に 金属や紙プラスチックなどのオブジェがまるで 部品のように組み合わされています。 この中で「遠近法の包囲をやぶっても」という言葉が非常に一つのキーワードとしてあります。 遠近法に包囲されてその包囲をやぶって…。 結局 遠近法というのは中世の空間の包囲をやぶって出てきたものなんですね。 ところが 遠近法の包囲の中から抽象画というのはそれをやぶって出てくるんですね。 結局 自分の立場というものはフランス象徴主義をまねるとかそういう事で許されるものじゃない。
近代日本文学というのは個人がやるものでしょ 個人が。 そういうものが近代日本文学だったわけね。 「ぶつかり合わなくては」という大岡さんの言葉だったんですが宇佐美さん どのように受け止めてらっしゃいますか?僕 大岡さんと対談した中で言葉で 仲立ちするというんじゃなくて言葉になる まだ以前というかまだ 言葉として分かれてくる以前のような そういう力をねあると思うんですね。