三木 清の「人生論ノート」。 執筆直前に妻を亡くした三木は人生論を「死について」から書き始めます。 「死について」の考察から始まった人生論がなぜ 「希望」で締めくくられたのか。 ♪~「100分de名著」 司会の…さあ かなり かみ応えがありました 「人生論ノート」。 1夜目も2夜目も3夜目も毎回その謎解きをして下さるのは今回も哲学者の岸見一郎さんです。
「執着するもの」というふうに書いてますけどもこれは具体的には 三木は何を想定してるんでしょう?恐らく 一人娘の洋子さんだっただろうと思うんですよね。 「人生論ノート」の連載が始まったのは喜美子夫人の死から1年後の事でした。 「人生論ノート」が刊行された翌年三木は徴用されフィリピンで従軍します。 しかし帰国すると 既に三木に言論発表の場はなく娘と二人 埼玉に疎開します。 そして 昭和20年3月逃亡犯だった友人をかくまったという嫌疑で逮捕されるのです。
現代でも 南京虐殺やホロコーストはなかったとかそういう 歴史的な事実に対する解釈が多々あるわけですけども……という事を三木は考えていますしそれが三木の独自な歴史観でもあり同時に死生観であるというふうに考える事ができます。 歴史を尊重しないという事はその時代を生きて亡くなっていった その死を尊重しないという事なんだとこれを…愛した奥さんの事を考えながら これを書く事を戦時下にあっても「希望」について 熱く語った哲学者 三木 清。