この 校舎内の空間をどんなふうに お芝居に利用されたんでしょうか?第一幕はあそこの教室で演劇をしてそれが終わったらお客さん こう歩いて移動してで 下の中庭が第二幕の舞台なんですよ。 「OiBokkeShi」って ちょっとかわいらしい響きなんじゃないかなと思います。 で このOiBokkeShiではですねそういった老人ホームに入るとですねお年寄り方が御飯を食べたりひなたぼっこしたりとかあと うとうとしたりとかあと 新聞を読んだり テレビを見たりとかしてるわけですよね。
僕が 特別養護老人ホームで出会ったお年寄り方はみんな 個性的な方々ばかりだったんですね。 何て言うか 耳が遠いですし同じ話を繰り返すので憧れの映画俳優を目指して定年退職後は 数々のオーディションを受けてきたっていうんですね。 そこで菅原さんは劇団 OiBokkeShiの一員になってほしいと依頼しました。 かなり 岡田さんは俳優としての意識が高くなってきて最近は 「舞台の上で死ねたら本望だ」って言ってるんですね。
で 地域の課題を演劇などの芸術文化を通じてクリエーティブに解決する方法も あるんじゃないかなと思ったんですね。 その時に 芸術文化というのは何かを作ったりするというのはとても ワクワクして楽しい事ですからそれと 地域の課題を結び付ける事によって今まで住み慣れた場所で暮らそうと思う時には地域の人たちの支えというのがとても重要になってくるんですね。
なので 介護の問題に関してはかなり 地域っていうのがとても大切でその地域に意識する きっかけがこういった 演劇などの芸術文化になればなと思ったんですね。 なので 僕が送迎をして岡田さんと一緒に和気に行って 稽古をして一緒に御飯 食べて演劇の稽古をしてちょっと体を使って 頭使って人と触れ合って介護予防的な事をしてまた家に送ってもらう。 認知症の人を前にして演技をして演劇の稽古場で おじいさんを介護しているっていう祖母 正子さんとの暮らしでした。
その時に思ったのはぼけを受け入れた事によってその人が見ている世界とかその人が歩んできた人生にまた ぼけを受け入れる事によって認知症の人にとってもストレスが なくなるんじゃないかなと思いました。 それは記憶障害とか 見当識障害といって 中核症状があるから見当識障害っていうのは難しい字を書きますけど要は 今が いつでここが どこで目の前にいる人が誰なのか分からなくなる症状なんですね。 認知症の人って論理とか理屈とかは 通じない事あるかもしれないけれども感情はしっかり残ってるんですよね。
だから 認知症のお年寄りが職員さんが忙しそうだからちょっと私が掃除してあげようと思って間違って 傘を持ってしまったのかもしれない。 また 椅子に座ってるおばあさんが「トイレ トイレ」と言ってるからじゃあ 私が連れて行ってあげるよと思って歩行介助をしているのかもしれない。 つまり 人を思いやる気持ちはしっかりあってしかしそれが 中核症状によっておかしなアウトプットになってしまってるだけかもしれないわけですよね。
僕は 演劇と出会ったり介護と出会ったりして人見知りで声が小さいところなんか似てるんじゃないかなと思います。 そういう体験をなさってすぐ 劇団 OiBokkeShiのあの時の事はあんまり よく覚えてなくて…。 というのもワークショップ第1回目やった時に岡田さんが参加してくれてその時に 「あっ この人と一緒に芝居しよう」と思ったんですね。 僕らのペースで演劇をやるんではなくて僕は この人と一緒にやりたいって思った岡田さんのペースに合わせながら芝居ができたらなと思いました。