こころの時代~宗教・人生〜アンコール「人から人へ」

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この番組のまとめ

近藤さんは 1944年広島の爆心地に近い教会で牧師の娘として生まれました。 近藤さんは 牧師夫人として教会を支える一方この30年余り 自身の被爆体験を伝え続けてきました。 ♪~近藤さんが今も手元に残している被爆当時のものを見せて頂きました。 近藤さんと 母チサさんはそこから少し離れた牧師館で建物の下敷きになりました。 母にしてみれば私がいたからこそ被爆直後から傷ついた人たちの救助に奔走し近藤さんの父 谷本 清さんは市の郊外で被爆。

人から 膝の上に座ったなんていうのを聞くとシュモー博士というアメリカ人の方なんですけども大学の先生です。 林業を専門に研究してらした先生なので広島に原爆落ちたっていう事を知られた彼は学生を連れて まず広島に入って大工さんに クギの打ち方アメリカ人のシュモー博士とその学生さんたちは教会に寝泊まりして。 大学院時代 ご一緒だった方がやはり父を助けるためにですから原爆っていう事に対してそういう方たちといつも接してるもんですから「アメリカが悪い」とは私は ずっと思ってなかったわけ。

あしたの飛行機で来るようにって言われても近藤さん ご自身はご存じなかったわけでしょ?そう! 祖母が学校に迎えに来てくれまして「娘は あした 東京旅行に行くので早引きさせます」と言ったんです。 世の中の事を そろそろ分からなきゃいけない」と思い「紘子 あそこにいる方はキャプテン ロバート・ルイスといって広島に原爆を落としたB29 エノラ・ゲイという飛行機に乗っていた副操縦士のおじさんよ」って教えてくれた。 キャプテン ルイスは飛行機の窓から広島を見た。

アメリカの作家 パール・バックとの出会いです。 実は 「This Is Your Life」に出たあとパール・バックが「せっかくアメリカに来たんだからアメリカで夏休みを過ごしたらどうだろう」って提案して下さいました。 近藤さんは 被爆後間もなく原爆症を発症し中学生以来初めて この場所に入ったのは日米の大学生を案内した10年ほど前の事でした。 で 私は…父も アメリカで教育受けたし多くの人たち広島に手を差し伸べた人たちあの日の事を通してなぜか もう検査をしたくなくなったのね。

婚約した相手の人の おじさんがお医者様で放射能が人体にどういう事を与えるかをやはり 若かったですしショックでしたね。 だから… I’d like to saythank you to you.ありがとうを言いたい。

実は キャプテン ルイスとの出会いを自然に まず 出ました。 近藤さん自身が自分の被爆体験をしゃべる…まあ しゃべるっていうよりもしゃべらざるをえなくなってた。 それで 己斐のちょうど茂みの間から広島市が… 広島を見たらもう 火が あちこちで上がってる。 「ヒロシマ」を書いたジョン・ハーシーの孫キャノンさんが広島を訪れたのです。 キャノンさんは 祖父ジョン・ハーシーと広島を知るため祖父が残したものを調べていました。 手渡してくれたのは「ヒロシマ」誕生のきっかけとなった谷本牧師の被爆体験のメモでした。