そんな松陰が どうしても我慢できなかったのが こちら大福もちに手が伸びたのはどんな時だったのでしょう。 という事で 今宵ひもとくのは吉田松陰の大福もち。 幕末の思想家 吉田松陰。 故郷の長州藩で兵学の皆伝を受けた松陰は更に学問を究めるため 21歳の時江戸へと送り出されます。 苦労の跡がにじむ松陰の「費用録」。 松陰のストイックな暮らしぶりが伝わってきます。
もち米は 蒸す作業と つく作業の1セットで おもちになりますからね。 まず 蒸す作業からいきますよ~。 江戸時代 大きな勢力を誇り討幕運動の中心になった長州藩のお膝元です。 松陰は 1830年 下級武士の次男として生まれました。 一家総出で農作業をし生計を立てていました。 そんな生活の中数少ない楽しみが正月につく もちでした。 松陰にとって 大福もちは子ども時代の楽しみを思い出させてくれる特別なスイーツだったのかもしれません。 本当に 特別おいしかったんですよ きっと。
味よし 縁起よしの大福物語。 松陰先生も我慢できないくらい夢中になった大福もち 作ったよ。 近代日本の黎明期を牽引した人材が松陰のもとから巣立っていったのです。 門下生たちの前では決して 厳しい姿勢を崩す事のなかった松陰ですがささやかな楽しみといえばやはり 大福もちでした。 「大福もちは先生の大好物であってこれが 唯一の散財だった」と記されています。 これから頑張っていこうというある意味…1859年 松陰は謀反を企てたとして29歳で処刑されます。