地球ドラマチック「究極のツタンカーメン」(後編)

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この番組のまとめ

ツタンカーメンの謎に迫るノーントンの次のステップは発見当時の調査記録と写真。 ツタンカーメンのミイラには表面に焦げたような跡があるんですが原因としては どのような事が考えられますか?ミイラを作る際にはさまざまな油が使われますが油の中には自然に発火して火災を起こすものがあるんです。 しかし ツタンカーメンはひつぎに納められていたため反応は ゆっくりで煙は ほとんど出ず自然発火が起こる事が判明しました。

ツタンカーメンの墓に描かれた壁画には他のファラオの墓には見られないものがあるのです。 微生物学者のミッチェルはシミの原因と同じ化学的性質を持つ微生物を特定しました。 ツタンカーメンの墓には壁に湿気があったためカビが成長したのではないかとミッチェルは考えました。 ツタンカーメンの埋葬を急がせたのはファラオの近親者でかつ 位の高い権力者です。 しかし ツタンカーメンは万が一の事を考えて王位を継承すべき人物をすでに指名していました。

しかし アイがツタンカーメンから奪ったのは実は これは もともとツタンカーメンのために作られた墓ではないかという説があります。 つまり アイが眠るのはツタンカーメンの墓でツタンカーメンが葬られたのがアイの墓だったのかもしれません。 アイはツタンカーメンが埋葬されるはずだった墓に豪華な副葬品とともに葬られました。 これで ツタンカーメンの墓の奇妙な特徴の数々も説明がつきます。 ツタンカーメンはアイの狭く粗末な墓に大急ぎで埋葬され長い間閉じ込められ続けたのです。

ツタンカーメンの死から200年が たったころ王家の谷の墓は ことごとく盗掘の憂き目に遭いました。 「マイヤー・パピルスB」と呼ばれる文書でツタンカーメンの死から およそ200年後エジプトが混乱していた時代の記録です。 ツタンカーメンの時代のように指輪や腕輪など簡単に取り引きできる物だけでなく宗教的な物や大きな副葬品まで盗掘されるようになったのです。 あらゆるファラオの墓が荒らされた中で唯一 ツタンカーメンの墓だけが大規模な盗掘を免れたのは奇跡的です。

ツタンカーメンの墓の上には鉄砲水でできた層がありました。 彼らは わざとアクエンアテン ツタンカーメンアイたちの名前を王名表から外し歴史から消し去ろうとしたんです。 セティ1世とラメセス2世はこれこそが古代エジプトの正式なファラオの系図であると世に定着させようとしました。 つまり アクエンアテン ツタンカーメン アイらこの表に載っていない者は正当なファラオとして認めなかったという事です。 こうして後世のファラオたちによってツタンカーメンたちがエジプトを統治した時代は歴史から抹消されました。