先人たちの底力 知恵泉「宮沢賢治 “好き”こそ苦しみと生きる道」

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この番組のまとめ

でも その宮沢賢治といいますと…そうか。 そんな斎藤さんから見て宮沢賢治というのはどういった人物ですか?すごく変わった人だったろうなという感じは すごくあってこちらです。 宮沢賢治さんの場合は好きな事をやっていわゆる ごまかすというか気を紛らわせるそういう好きな事を見つけなさいという事なんですかね。 さあ では 宮沢賢治は人生の中でどんな好きなものを見つけていったのか。 サイダー?というのも宮沢賢治は お給料が出た時「一杯やろう」と 同僚で飲むのがこのサイダーだったんですって。

将来に希望が持てず 無気力になっていった 中学生の賢治。 短歌は 賢治にとって文学の出発点となるものでした。 賢治は 日々 目に飛び込んでくる周囲の自然を心に刻み日記をつけるようにして短歌を作っていきました。 宮沢賢治文学の専門家千葉一幹先生。 通常 作品って作る場合自己主張するとか というのが中心だと思うんですけれども賢治の場合は にらまれてるとか見られてるとかですね…考えるより 何か聞こえてくる。

「私は 殆んど 狂人にもなりさうなこの発作を機械的に その本当の名称で呼び出し東京に出た賢治はアルバイトをしながら教団の活動を手伝い夜は 下宿で童話の創作に没頭しました。 賢治は 童話の中にさまざまな動物を登場させて人間社会の愚かさを風刺し既成の価値観を 根底からひっくり返そうとしました。 実際 我々は 小さい赤ちゃんを育ててるその家庭を見れば童話の中に理想の世界を作り上げる事でそれまでの鬱積した思いを晴らしていった賢治。

賢治の2歳下の妹 トシは聡明で 兄の苦悩をよく理解し常に 良き相談相手でした。 賢治は 人に紹介されて地元の農学校の教師となり授業のかたわら懸命に トシの看病を続けました。 理不尽な死を前に 賢治の深い悲しみの感情の中から怒りや幻想が次々に わき上がっていきました。 東ニ 病気ノコドモアレバ行ッテ 看病シテヤリ西ニ ツカレタ母アレバ行ッテ ソノ稲ノ束ヲ負ヒミンナニ デクノボートヨバレ好きな事を死ぬまで ず~っと続けれる才能の持ち主やったのかなという。