ハートネットTV「震災を詠む2017」(前編)

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この番組のまとめ

当時 大槌町は建物も被災して町長さんも 津波に流されて行方不明の状態でしたので隣の町を頼ってきたんだと思います。 南相馬市で毎年7月下旬に開かれる…500騎余りの騎馬武者が勇壮な姿を見せる この祭りは作者の柴田征子さん。 今日 お邪魔しているこの南相馬市はですね避難区域の大部分は解除されたんですが浪江町と接する一部は まだ帰還困難区域に指定されています。 続いて ご紹介するのは東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響や旧知の友が原発事故後遠くへ避難して6年。

震災は たくさんの方々のお命を奪って彼女は 本当に何があっても第一番に相談する私の友達だったんですが避難した当時は「会いたいね 会いたいね」って言ってたのが「お元気でね」という言葉になってしまってこれは 本当につらいです。 その汚染土が 自分の家の庭にまだ埋め置かれていわゆる 中間貯蔵施設に運ばれたとしても自分の心の中にささった刺のようにずっと残り続けてるのかななんていうそんなふうにも思ってとても心が痛くなる歌でした。

作者の原 芳広さんが飛行場の跡地へ案内してくれました。 これが 昔の飛行場の…総門っていうんですか? 正門。 昭和11年に 県営の飛行場として開場した原町飛行場。 太平洋戦争の時には陸軍飛行兵の訓練所となり特攻隊員の育成にも使われたといいます。 この向きでいったら左側 ほとんど飛行場だったと思います。 飛行場だから こんなうちなんか なかった訳ですね。 雲雀ヶ原というのは 本当にとっても のどかできれいな ヒバリが楽しく来るようなところがそこが 戦時中なんと飛行場。