普天間基地返還移設問題にその発端から ずっとかかわり続けてきた大田昌秀 84歳。 大田さんは 沖縄の身になって基地の在り方を考えてほしいと訴えています。 沖縄の基地問題を巡って奔走する 大田昌秀。 大田さんが取り組んだ米軍基地の整理縮小問題。 とりわけ重視したのがアメリカ海兵隊が駐屯する宜野湾市の普天間航空基地でした。 大田さんは住民の負担をなくすため日本政府に この基地の返還を願い出ました。 政府が 候補地として挙げたのが大田さんは 知事在任中政府の意向に反しここへの基地の移設に反対し続けました。
こうした背景の下で1996年2月 大田さんが橋本首相に訴えたのが普天間基地の返還でした。 これから 普天間基地が全面返還の日を迎えるまでには私たちは より住民に負担のかからない場所を探しながらこれ返してもらえますとねものすごい大きな空き地になりますから そこに…。 しかし 普天間返還はアメリカ海兵隊を受け入れる代替施設への移設が前提でした。
名護市長が 例の辺野古を受け入れるって宣言してそれを岡本さんが私が総理にお会いする前にホテルで ちょっとだけ話したいって言うからその時に僕は ポケットに「名護市長が基地を受け入れ」という一面トップの記事が「受け入れ」というのが その朝に出てたんですよね。 だけど比嘉市長は名護市とやんばる 北部地域ですねその将来を考えて それでも行政の長として決断したと。
ですから 最初に移設先を大体決めて 辺野古なら辺野古これでどうでしょうか」と一番最初から言えばもっと ずっと スムーズに運んでたんじゃないかと思うんですね。 国のため つまり国家の視点に立つと 日米安保条約は上から見下ろすような形で同情する言葉はなくて「ちむぐりさ」といって「胸が痛む」という相手の苦しい状況を見たら自分の胸が痛むという言い方をする。 いまだに尖閣だけには 手を出してないのは なぜかと言えばやっぱり日米安保条約がある沖縄の抑止力がある。
大田さんは入手した情報から普天間飛行場のヘリコプター部隊のグアム移転の可能性を感じています。 大田さんはアメリカ自身が練っている計画にグアムの住民が絶対に駄目という事だったら私なんかも グアムは沖縄戦と同じような苦労をしてますからB52の基地として使われていたのがB52がアメリカ本国に引き揚げてがら空きになっている状態ですから経済的に非常に苦しくて観光も落ち込んでるっていって。 学徒動員された 大田さんら師範学校の学生たちは鉄血勤皇隊に編入。
本土では 反対運動で米軍基地が縮小する一方基地の縮小は進まず 日米安保条約に不可欠な存在として固定化されてしまっています。 米軍基地は沖縄にあるべきだと思うんですけど例えば 愛知県に米軍基地が来たとして そうなると沖縄と一緒であっち行けよっていう事になって。 それこそ もっと北朝鮮に近くなるから それでもいいと思うし中国に置くんでも いいと思うけどちゃんと米軍基地が機能できる場所に移す必要があるかなと思っています。 日本領内じゃなくても 米軍基地はとりあえずいる どこかに。
基地問題を考える時に騒音問題とか 実弾が飛んでくるとか いろんな暴力事件とか直接 身体に危害を与えるような事件だけでなく地域住民 沖縄県民全体の 精神に与える影響も大きいと思うんです。 沖縄の負担軽減が問題じゃなくてなぜ 本来 自分たちが担うべき負担を担わずに沖縄に押しつけているかという問題だと思うんですね。
12年前 稲嶺さんは沖縄経済の閉塞状況打破を旗印に大田さんに挑みました。 そういう事で 使用期限付きを提案したんですね。 稲嶺さんが出した使用期限付きの代替飛行場案は政府でも閣議決定されました。 軍専用でしかも使用期限がなかったため稲嶺さんは 方針を一変。 基本的には 沖縄県民というのは圧倒的に 感情の問題としてともかく 基地は県外へ移設してほしいというのは自転車で乗り回すような心情だったです はっきり言うと。
今までの沖縄関係の政策協議会で決まる費用 振興費もそうですがこちらとしてはできるだけ いろんな形で公共事業でない費用しかも 沖縄で自由に使える費用を要望してるんですけど従来とは違う 公共事業に対する考え方も違ってきたと思うんです。 という事は 今までは沖縄だけの問題がこれからは 全国的な問題という事になっていくでしょうし全国的な関心の度合いというのがある意味ではボールを彼らが握ってるわけですからね。 逆に言うと 今までの沖縄の苦労を中央が受け取って中央自体は その責任と負担を全く負おうとしない。