こころの時代 シリーズ 唯識に生きる 第3回「唯識を“体得”する」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

4世紀から5世紀のインドで無著と世親という兄弟によって打ちたてられ仏教の根本思想とされる…小説「西遊記」の主人公として知られるヨーガを実践する人々によってつくられました。 じゃ いったい なぜ ここに自分というのは存在するのかという問いかけですがそれは他の力「縁」っていいますがね不思議な 不思議な縁起の力によって自分は ここに存在すると。 この道筋で 唯識は最終的には いったい 真実の自分とは何なのかという事を探す言ってみれば旅をしている 旅のようなもの。

それで 「一人一宇宙」という言葉を言い始めたわけです。 それは もう すべて深層心阿頼耶識から生じてくると。 阿頼耶識の中に 物事が生じる可能力という言葉 使いましたが全部 種として 心の中に収まっているというね。 だから 我々の阿頼耶識も個人個人の阿頼耶識の中にもね過去の一切 また この今 一瞬のね経験というものが表層の経験というものが どんどんどんどん収められていくたまっていく貯蔵されていっているというふうに言ってもいいと思いますね。

心の中の存在は全部依他起性であるという。 つまり その執着があるという事も言葉との関係言葉が やっぱり関係してるわけですか?まあ あるものを ものとして認めるためには言葉が必要ですよね。 執着されたものを 専門用語で「遍計所執性」といいます。 遍く考えられて執着されたものというねそういう ありようを持つものとして遍計所執性といいます。 我々は それは もう空間的にも時間的にもね空間的には身の回りに いろいろなものが あるわけです 空間的なね。

その間 俗に言うマインドトークって ありましたか?レーズンとか 今 食べてる状況とかいう事を観察しているその言葉とか何とかって以外に。 意識はマインドトークに占拠されてるからそのものの味であったりとか口の中の感覚であったりとかもっと身体の全体の動きうんぬんでそういうものに一切 気づく事がないわけですね。

この我慢は 「我慢してなさい」っていう あの我慢ではなくって自分が一番すごい存在だって。 これが あるから常に自分が比較して一番でいたい 一番でいたいだから むさぼるんです。 唯識では これを手がかりにして自分の心と向き合います私も この日 自分の身に起きた出来事に照らして考えてみる事にしましたう~ん。 マインドトークという一瞬一瞬 頭の中に浮かんでくるその思いですね 意識そういうものを「今日は どのような出来事がありましたか?」って。

呼吸に集中してマインドトークに真摯に向き合う事で多くの気づきが生まれたといいますどうやってそれに気づいていったんですか?実際 なんか感情に伴って身体に変化が起きるとかそういう事もあったんですか?はい もう あります。 なんか その集中できる時間がどんどん増えていって正直 シートに どんどん自分の怒りを分析していったりするようなところは ちょっと怖いし実際 テレビで 「私の思ってる事はこれです」ってなんか やってみたいなと思いましたね。

それで 非常非断というのを非有非無というふうに言いかえていいんじゃないかと思うわけです。 やっぱり「有」と「無」という言葉がいろんな 何百 何千とあるね何万と言ってもいいけど人間の概念の中で一番基本になってくるわけですね。 2つに分けて 二分法ですか考える事にどういう問題があるわけですか?我々は 二分法的思考でねあるか ないかというのを必ず考えていくわけですね。