江戸軍談派の開祖 神田伯龍先生に3人の弟子がおります。 一番弟子を伯鶴 次が伯海3人目を伯山と申しましたが中で 二番弟子の伯海あ~ 男前 きっぷがよくて芸も きびきびとして歯切れがいいから自然 これ 人気もあります。 それなればてんで無理算段をして このお梅自由な からだに致しますと2人が手に手を取って大坂へとやって来ましたのが嘉永の2年という年。 大坂三界にまで流れてきたがとても お前さんの行く末には見込みがないから別れて江戸へ… 帰ります。
まあ 今日のようにねえ変化の激しい時代とは違って のんびりとした江戸とは いいましてもそのあとの神田派一体 どうなりました?」。 「これがねえ一番弟子の伯鶴さんがね国の常陸へ引き揚げてね何でも あっちの方でね水戸伯龍と呼ばれてるらしい。 まあ そこでさ三番弟子の伯山さんが跡を継いであ~ 今じゃ 神田派の束ね。 「え?伯山が神田派の束ねで大看板?」。
いやいやいやなあ 大坂てぇ所もなまあ 芸事は盛んな所だがさあ江戸っ子には 江戸が一番だ ああ。 痩せても枯れても桃林亭東玉。 日本一の名人といわれました桃林亭東玉にここまで後押しをされまして伯海。 「それなれば もう一度この江戸で出直しを」と名前もこの桃林亭東玉に倣いまして松林亭伯円と改めまして江戸で やり直そうと…。 さあ この松林亭伯円の看板を初めて掲げましたのが芳町の釜金という講釈場ですな。
これを向こうへ回してご当地 初お目見えの松林亭伯円。 「お… おいおい 何だい?釜金の方は え?真打ちが何だい?『松林亭伯円』?聞いた事のねえ名前だな うん。 いや そら 真打ちは何か聞いた事ねえけど助に出てるのが東玉先生だよ。 東玉先生 聴けるなら こっちでもいいじゃねえか」ってんで東玉の看板で入るお客ばっかりだ。 伯円は秋刀魚ですよ。 東玉先生が言うとおりうまいね この人は」てんでお客が喜んで帰ってゆく。 伯円の看板で入るお客ばっかりになった その月末だ。