古典芸能への招待 六代豊竹呂太夫襲名披露 文楽「菅原伝授手習鑑」

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この番組のまとめ

まずは 六代 豊竹呂太夫さんのこれまでの歩みを ご覧下さい。 豊秋津洲の大日本初の伊勢神宮での奉納公演にふさわしい「三番叟」は呂太夫自身にとっても文楽太夫で人間国宝だった祖父にゆかりの演目です。 呂太夫の名前は人間国宝だった祖父豊竹若太夫が名乗っていた名跡。 通夜で 若太夫の弟子だった先代の呂太夫に勧められその後 人間国宝四代 竹本越路太夫の門下となり戦後文楽を代表する偉大な師から現在につながる基礎を吸収していきました。

師没後 当時の豊竹つばめ太夫後の竹本越路太夫師のところに再入門致し芸道修業して参りました。 先代の呂太夫君は文楽に似つかわしくないほどの美男子でございまして若い頃は映画界から誘いがあったりまた 雑誌のモデルなどそんなようなこともしておりました。 この度の英太夫改め六代目 豊竹呂太夫襲名を心より お祝いお慶び申し上げます。 先代の呂太夫兄さんや清治兄さんと共に参りましたアメリカ公演 また 文楽の初公演で参りました ブラジル公演。

住太夫兄さんがね去年の2月公演の時に 東京で「襲名したら どうや?」と言われましたんでね去年… 考えたらそうか もし 今年襲名となると70歳。 呂太夫襲名をはじめとして文楽ではおめでたい話題が続きます。 その公演で 弟子の豊竹咲甫太夫さんが六代 竹本織太夫を襲名します。 それでは 六代 呂太夫襲名披露の演目「菅原伝授手習鑑」四段目のあらすじをご覧下さい。 四段目は 菅丞相と敵対する藤原時平の家来 松王丸とその家族の悲劇です。 菅丞相の元家来 武部源蔵は自ら営む寺子屋に丞相の子供 菅秀才をかくまっています。

この場面は聴いてほしい この場面ちょっと 自分としては力を入れているというところありますか?私が 今度の役は「寺子屋」の前半の部分ですね。 こう見てる訳じゃない?で 松王の言葉は「コリヤコレ 菅秀才の首討つたは紛ひなし相違なし」。

おりや 坊主頭の清書した」と 見せるは 十五のよだれくりそんな事書かずとも本の清書したがよい」と八つになる子に叱られて「エエませよ ませよ」と指差して 誂戯掛かるをと 手ん手に卦算振り廻す自然天然肩持つも伝はる筆の威徳かや。 世話甲斐もなき 役に立たず」心ならず 女房立ち寄り悪い人と思ふも気の毒機嫌直して逢うてやつて下され」と 小太郎連れて 引き合はせど差し俯いて思案の体幼気に手をつかへ「お師匠様 今から頼み上げます」打ち守り居たりしが。

「サア 今日に限つて 寺入りしたはあの子が業かハア 来ませう」と 妻が嘆けば夫も目をすりと 共に掛かる所へ春藤玄蕃首見る役は松王丸舁き据ゆれば。 古手なことして後悔すな」「疾く斬れ」と玄蕃が権柄検使は四方八方に眼を配る中にも松王 机文庫の数を見廻し机の数が一脚多いその倅は どこに居るぞ」と 見咎められて戸浪は「ハツ」と「イヤこりや今日初めて寺ててて寺参りした子がござんす」。

「ヤア未練者め」と叱り付けずつと通るは松王丸見るに夫婦は二度びつくり「夢か現か夫婦か」と呆れて武部源蔵 威儀を正し「一礼は まづ後の事。 菅丞相には我が性根を見込み給ひ何とて松のつれなからうぞとの御歌を推量あれ 源蔵殿と言ふに 女房なほ せき上げ「草葉の陰で小太郎が聞いて嬉しう思ひませう」。