ハートネットTV リハビリ・介護を生きる▽町亞聖 母を介護した“奇跡の10年”

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この番組のまとめ

で だから 妹の卒業式とか弟の三者面談とかも別に 父が ちょっと仕事休んで父が顔出してくれても いいのに「お父さんは 行けないから」って言って結局全部 私に…まあ 何だろう… 任せて。 町さんは この苦境の中憧れのアナウンサーの道へと進みます。 私の場合は アナウンサーになって華やかなとこには出してもらえましたけど家に帰ると変わらない日常があって。 多分 きっと その当時私をテレビで見てた人からは想像ができない日常が待ってたんですよね。 18歳から始まった10年間の介護生活。

本当 試行錯誤しながら時に 失敗もしながらできない事じゃなくてできる事を数えていくっていう日常生活をやっていくと左手でできる家事もすごく たくさんあったりして。 1995年 町さんは テレビ局のアナウンサーとして働き始めます。 何重にも うれしい事がアナウンサーになった事で 何か膨らんだっていう感じですね。 アナウンサーになって 誰に向かって放送してるかっていったらやっぱり 母に届けっていう。 アナウンサーとして勤めながら家に帰れば母を支えていた町さん。

お父さん 自分で 弱音本当にね 弱音吐いて先に弱音吐くから次に弱音吐けないじゃないですか。 自分が支えていたつもりがいつの間にか 家族に支えられごはん作るのとかもそうなんですけどもう本当に「おいしい」って食べてくれるんですよ。 でも 入ってくるお給料は本当に もう右から左へ 全部病院にって消えちゃうような感じでした。 本当に涙が…。 今も 本当に仲よくしてる おばさんなんです。 本当に見るに見かねたんだと思います。 私 本当に 2人に 弟と妹にどんなものを作って食べさせてたんだろうって。

もう一度 アナウンサーとして自分の声で伝えたい。 うつ病と認知症誰の身にも起こりうる病気と正面から取り組む「ウィークエンド・ケアタイム」の時間です。 どんどん 自分の隣にいた人がリストラに遭ってくっていうような不安もあって。 そんな町さんが一番大切にしているのは当事者の声。 そういう意味では お母様のご経験があるからこそ 伝える事?アナウンサーの仕事って 実は 話す事と思われがちなんですけどアナウンサーの仕事って 実は人の話を聞く事だと思うんですね。